人生は、キレイなことばかりではなく、
汚れ仕事をしなければならないことも、
憎まれ役をしなければならないこともある。
それでもときどき、
足元に咲く小さな花なんか、見つけたりして、
誰かの親切が身にしみて、
楽しいことも、いろいろあったりして、
満たされる瞬間もある。
きれいなことばかりではなくても、
いいことばかりではなくても、
それも含めたすべての経験が、やっぱり素晴らしいものなんだ。
人生は、キレイなことばかりではなく、
汚れ仕事をしなければならないことも、
憎まれ役をしなければならないこともある。
それでもときどき、
足元に咲く小さな花なんか、見つけたりして、
誰かの親切が身にしみて、
楽しいことも、いろいろあったりして、
満たされる瞬間もある。
きれいなことばかりではなくても、
いいことばかりではなくても、
それも含めたすべての経験が、やっぱり素晴らしいものなんだ。
コメント
いつものことなんですが。
自分は凹むことがあるとどんどんネガティブなほうへ進んでしまって、さらに自分を追い込んで・・・の繰り返しです。
おそらくそんな時は浅い呼吸になって、相手も自分と同列なんだと思い込んでます。
でも底に行きつくと(これは受け入れたということなんだと思いますが)音楽や友達やいろいろなものに助けられてまた進んでいけるようになります。
そのときに凹んだ前よりも高いところにいけるよう、いい経験ができたと思いたいです。
「凹むこと」「ネガティブなほうへ進む」というのは、
そういう「出来事が起こる」という意味なのでしょうか、それとも
「自分の気持ちがそうなってしまう」という意味でしょうか。
出来事そのものであれば、呼吸はあまり関係ないですよね。呼吸が関連するのは「感情」「感じる」ことなので。
呼吸と関連するとしたら、出来事による「自分の気持ち」になりますけれど、
この点を、整理してみたらいいのではないでしょうか。
「出来事そのもの」と「気持ち・感情」を、わけてとらえてみると、見えてくるものがあると思います。
リカコさん、はじめまして!私は最近、リカコさんの記事を読み始めました。よろしくお願いいたします_(._.)_
私はようやく、すべての経験が素晴らしいとポジティブになれるようになりました。でも自分の苦しみが過ぎると、今度は身近な誰かがスランプに陥り、支えるのも経験とは思っておりますが、こう続くと疲れてしまいます(^-^;
なかなか心から穏やかな日が続くのは少ないですね。ポジティブって素晴らしい!でも難しいと思いました。
記事楽しみにしておりまーす(^o^)/
そうですね、確かに、心穏やかな日はそう続くものではないかもしれませんが、
続かないからこそ、価値がわかるというのもあると思います。
続いてしまえば、それは普通になり、慣れてくるとそのことをポジティブとはとらえられなくなるでしょうから、
いつも続かなくて、難しいなあくらいの度合いが、実はちょうどいいのかも?しれませんね。
そういうきっかけとなる小さな出来事はありますが、どちらかというと自分の気持ちがそうなってしまう、というほうが多いです。
他の人からしたら「そんなことで、、、」ということに過剰反応してしまうこともあります。
そのとおりですね。
小走りする鳥に癒されたり、店員さんと交わす笑顔に和んだり。
じんわりと温かくなる瞬間がたくさんあります。
リカコさん自身も被災されているなか、途切れることない寄り添うメッセージ。
いつもありがとうございます。
日常の忙しさの中で、通り過ぎてしまうような一場面に、
自分が意識を向けていくことで、わかることがありますね。
ありがたいこと、気づかされること、いろいろだなあ、と。