スピリチュアルに関心がある方が、エネルギーという抽象的なものを語る際の、ありがちな「思い込み」に、「悪いエネルギー」というとらえ方があります。
「あの場所から、悪いエネルギーがでていることを感じた」とか、「あの人のエネルギーは低いので、自分が影響されてしまった」という表現は、わりとよく使われますね。
周囲の人や場所のエネルギーが「悪い」ために、自分がそのことに迷惑をこうむるかのようなとらえ方は偏りすぎています。
実際には、「それ」のとらえ方は、人それぞれとなります。
エネルギーをどう感じるかは、それぞれ違う。
あるエネルギーに影響されて、自分のコンディションが下がってしまったり、その場所にいくと苦しくなる現象は、実際に起こり得ます。
けれど、エネルギーはエネルギーであり、それが「良い」とか「悪い」とかの一律の定義では、くくれません。
悪いというのは、その人個人にとって馴染みにくいとか、違和感があるとか、嫌な感じがするというだけの、とってもパーソナルな感覚によるものです。
自分が、そのエネルギーに「悪いもの」を感じたとしても、エネルギ-自体が悪いとは限らず、「自分からは、そう感じられる」だけかもしれないのです。
他の人にとっては、同じものが、別に悪くもない、何も思わない、許容範囲の普通のことである、という可能性も多々あるのです。ここが、注意しなければならないポイントです。
万人にとっての悪いエネルギーとういうものは「ない」ということ。
そういう発言をする本人にとっては、違和感があって、歓迎されないエネルギーなのでしょう。それは、その人の個人的な感覚や感性(好み)としてもちろん尊重されます。
ですが、その感覚は、世の中の他の人たちにまで「自分と同じように」当てはまるとは限らないことは覚えておきましょう。
自分では単に事実を言っているつもりが、その対象を貶めているのではないか等の、誤解を受けてしまうこともありえますので、こうした発言には慎重になったほうがいいですよね。
そのエネルギーへの親和性で、受け止め方が変わる。
食べものの好みがそれぞれであり、甘いものを好む人も苦手な人もいるように、エネルギーへの感じ方、親和性の差というものがあります。
同じエネルギーに対する受け止め方も、複数の人がいれば、それぞれのもつ個性との相性によって、好みや苦手という差がでてきます。
たとえるなら「ピーナッツをどう受けとめるか」の違いのようなことです。
アレルギーを持つ人にとっては嫌なもので避けたいものとなりますね。そうでない人には何とも思わない普通のものです。好きな人にとってはおいしくて歓迎したいものになります。
あるエネルギーについての印象も、嫌で避けたい人もいれば、何とも思わない人もいれば、歓迎したい人もいるという、受け止め方の違いがでてくるということです。
「低いエネルギーが、出ているのを感じる」ことがあっても、そのエネルギーを、低いと認識しているのは自分と同じような個性の人だけで、他の人には何とも思わない普通のもの(だから感じない)というケースは多々あります。
感じる度合いが低いから感じ取れないこともあるけれど、何とも思わない範囲のことだから感じない、というケースもあり、ここは一概には言えないことなのです。
自分には、悪いエネルギーとしか言いようがない違和感がありありのものでも、もしかすると、他人にとっては普通だったり、なんと好ましかったり!有用だったり!することすら、あるかもしれないのです。
まとめると。
●自分に合わないエネルギーは、あります。自分の感性の幅にしっくりこないものには、違和感やら否定感がでてくるものです。しかし、それが悪いエネルギーだから合わないのではない(かもしれない。いろいろな理由が考えられる)ということです。
●エネルギーへの違和感は、知らないエネルギーであることへの警戒感から引き起こされていることもあります。自分がそれに慣れていくと、違和感が小さくなって、悪いエネルギーだという認識が変わることもあります。
そういうケースがあることも、エネルギーそのものが悪いのではなく、受け止める側の受け止め方で変わることを示していますよね。
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