よくある悩みとして「いつも自分ばかりがいろいろ言われる」「他の人にはそうではないのに、自分ばかりが損な役回りをやらされる」というものがあります。こうなってしまうのは、オーラとエネルギーの観点からみて二つの原因が考えられます。
オーラのサイズが大きいことと、
自分らしさを出していないことです。
この二つが揃ったときに、「いろいろ言われる」現象は起こりやすいです。
オーラのサイズが大きいと「存在感」と「影響力」が大きくなります。特に何もしていなくても実体感があるのが存在感の大きさです。言いかえると、何もしていないことも目立ってしまいます。
それで「他の人たちも何もしていないのに、自分だけがしていないことを指摘される」という現象が起こりやすいんですよね(>_<)。これはもう、
オーラが大きい人あるあるです。
自分らしさを出していないとは、正確にいうと「オーラが大きくて影響力がありながらも、自分がもつ力を十分に出していない」状態です。オーラが大きい人は頼られたり、あてにされたりすることが多く、それが負担で人の中で目立たないようにしてしまうことはありがちです。
力があるのに出さない状態は、エネルギーレベルでの不調和をつくります。それがエネルギーに敏感な人には「なんか違う」「そうなるべき状態になっていない」違和感として伝わってしまうのです。
力を出していないこと自体も目立ってしまい、違和感も大きく目立つので、自分ばかりが‥…となるわけですね(>_<)。
スピリチュアルな観点からいえば「人は霊的な存在」なので、誰もが霊的な感性を備えているので、オーラやエネルギーのようすが目で見えるのではなくてもなんとなく、わかる人にはわかってしまうということです。
もちろんオーラが大きくて、いつもあてにされる側からすれば、言いたいこともあるでしょう。別に自分だけが手抜きをしているわけではない、皆もやっていないからほどよくあわせているだけだし、他のところでは帳尻をあわせる以上のことをしていると。
オーラが大きい人はだいたいそういう動きをとっているはずです。先回りをする感性をもっている人が多いですから。
でも、指摘してくる側としては「違和感はわかる」としても、その他の要素がああなって、こうなってという「そこまではわからない」のでしょう。または結びつけて考えていなくて単体で指摘をしてくるのだと思います。
それで私がオーラが大きい人にお伝えしているのは、
力を出さない守り方では、本当の意味で守ることにならずにむしろ指摘される部分をつくってしまうことになるので、「力を大きく出していく」ほうが指摘もされにくくなり、自分を守ることにもなるのでは、ということです。
力を出したら出したで、またそこでいろいろあるかもしれませんが(多分あるけど笑)、やってないと言われるのを恐れるのは、いつまでも相手側に主導権がありますよね。自分から動きをつけていけば、結果は自分が引き受けていくと思えるし、経験から成長することもできます。
オーラが大きい人が目立つのは、存在感と影響力の大きさを「最初から備えている」からです。ならばその力をいかして、自分から行動を「していく」姿勢になるほうが人生が豊かになっていくと思うのです。
さらに、こういう考え方もできます。
自分が「指摘された以外の他のところでは力を出している」と思っている「そのこと」は、本来の自分の力量からすればまだまだ内輪で、無難なところに過剰な力をかけているのかもしれません。そういう違和感も含めて(相手はそこまで意識していないでしょうが)「指摘をされてしまう」という可能性もあります。
人は常に成長していきますから、時間とともに経験が増えて力もついていきます。過去の認識よりも、自分ができることは広がっているものです。
そうなると、自分にふさわしい力の掛けどころも変わりますから、
これから力を出していくべきところ、これから大きな成果をつくっていけるのは、力を出していないと指摘される(実際は自分があえて力を掛けないでいる)ほうの「そのこと」かもしれませんよね。間接的にそのことに気づかせてもらっている機会と受け止めることもできます。
自分がもつ力を、より大きくいかす方向で、
改めて考えてみるといいでしょう。
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