挫折のような経験にも意味がある

挫折という強い言葉でしか表現できないような経験、誰の人生にもあると思います。思い出したくないようなこと、あの経験さえなかったら順調だったのにな、と思うようなことです。

けれど、そういう経験にも意味があり、その後の人生のためにあえて用意されることもあるのだろうと。私はそのように考えています。

なぜなら挫折としか表現できない困難に直面することで、「人生とは何だろう?」「努力の意味とは?」のような、

視座が高い「問い」をするようになるからです。

ファンタジーの木

日常のちょっとくらいの失敗では、こうした問いが自分の内からでてくることはありませんよね。ちょっと不満になったり、ちょっと反省したり、そのくらいの感情の動きにとどまると思います。

人生とは? と考えだすのは、

長い時間をかけて目指してきた道が閉ざされたとか、積み上げてきたものが届かないと結果がでてしまうようなこと、多くの人に共通するものとしては、受験や就職活動などが思い通りにいかないときが該当するでしょうか。

これらには周囲という比較対象があるのでなおのこと、目指したものに届かなかったことが何倍も辛く感じられます。

だからこそいつまでも心からそれが抜けず…、忘れたくても忘れられず…、何度も何度も考えます。人生とは、努力の意味とは、という高次の問いにはそう簡単には答えがでませんから、長い時間をかけて考え続けることになり、

いつの間にかその視座が、自分に刻まれ、

このことは確実に、人生においてプラスになります。

コメント