スピリチュアルに関心を持つ方は、前世にも関心が深い方が多いものです。
理由としては、かつての人気番組「オーラの泉」の影響もあるのだろうと思います。
ゲスト出演者の「オーラの色」「前世」「守護霊」について語られるという形で、番組が進んでいくという、当時の記憶がある30代以降の方にとっては、前世とは「イメージしやすいスピリチュアルな事柄のひとつ」なのでしょう。
前世を知らなくても、何も問題はありません。
人が、「スピリチュアリズムというしくみに基づいて、自分を成長させていこう」とするとき、そのための学びの機会も、気づくためのきっかけも、すべては「日常の生活の中にある」ものです。
この世とは、私たちにとって学びの場所で、日々の出来事を通して、課題は与えられていくしくみとなっていますから、オーラを知らなくても自分を知ることはできますし、前世に関心をもたなくても、今世の出来事の中から、あらゆる学びと知恵をつかみ取っていける環境が用意されます。
なので、私はあまり前世というものに意識を向けすぎないくてもいいと、個人的には思っていて、それほど重視はしていません。むしろ、前世をファンタジーのように大げさにとらえすぎない冷静さをもつことのほうが大事であるという見解です。
しかし、前世について知ることのメリットはやはり存在します。「自分を違う角度から、再認識することができる」という点です。
前世の自分には、客観的になれるもの。
前世も、今世と同様に「自分自身」なのだけども、置かれている時代や状況が違いますから、ちょうどいい距離感となって、客観視ができやすいのです。
通常は「自分を客観視してとらえる」のは難しいです。ある対象を、眺める自分、という距離のある構図になっているからこそ、客観的な視点になれます。
「自分で自分を」となると距離がありませんから、主観が客観を覆ってしまうところですが、前世を対象とすると、ちょうどいいワンクッションとなって、自分をとらえることが楽なのです。
どちらも自分自身だけれど、置かれている時代や環境が違いますから、ちょうど認識しやすい(近すぎない)距離をもって存在しているので、自分を再認識しやすくなりますし、新たな気づきもうまれます。
たとえるなら「自分で自分を分析すること」と、「他人の様子を鏡として自分を知ること」の、ちょうど中間くらいの位置付けでわかりやすいのでしょう。
自分を知る手段のひとつ、という位置付け。
前世を知ることを、「今の自分をより深く知るため」の手段のひとつとするなら、その理解を大いに助けるものとなるでしょう。
前世リーディングを受けていただいた方のご感想を総合すると、「やはり前世も自分だった」とか、「自分とはどこまでも自分自身だと気づいた」とおっしゃる方が多いです。
自分を知るために、あちらこちらと動いてみて、結局、一周して元のところ戻ってきたかのように、前世を知ることで、今世という機会を得ているありがたさに気づくケースも多いです。
前世を知ると、すべてが繋がっていて、過去の蓄積が「今の自分」へと集約されていることがよくわかります。いろんな共通点がそれを教えてくれるからです。
そうして「前世を知ることで、自分の意識が「今」にしっかりと向いていくようになる」ことが、前世を知ることの一番の意義だと私は思っています。
しかし、前世について特に関心がわかない人は、無理に意識することもないと思います。
大事なのは「今の自分」ですから、前世への関心は「適度」にとどめておきましょう。
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