他人を変えることはできないので、思い通りに相手を(自分が)変えることはできません。変えられるのは自分のことだけです。
この言葉の意味は、「だから、相手を変えようとするよりも、自分を変える(成長させる)ように努めよう」という啓発が含まれていますね。
そうして自分を変えようととり組みをしてみると、「そうして自分が変わってみたら、思いがけず、相手も変わっていった」という形になることが、実はよく起こります。
自分が変わると、相手も変わる理由は?
自分が相手を変える……なんてことはできないんだな、だから自分が変わることで、この状況をよりよいものとしていこう!という決意のもとにとり組みをして、自分が変わったら、相手も比例するかのように変わってくる、というのは不思議な関連ですよね。
そうなる理由は、おもにふたつです。
①近い関係の人は、常に影響を与え合っている。
ひとつは、「相手が、緩やかに自分の影響を受けていく」ケースです。
人との交流は、オーラ同士の交流でもあります。生活空間や行動を共有する機会が多い間柄になるほど、お互いの与え合う作用は大きなものとなります。
自分が変わると、「以前とは変わった自分と、相手との間での交流」となり、両者の間に流れるエネルギー的な化学反応も、幾分は変わりますよね。
そうして、相手が自分の影響を受けて、ゆるやかに変わることは不思議ではないのです。
②実は、あまり変わっていないケースもあります笑。
もうひとつは、「実際には、相手はほとんど変わっていない」ケースです。
スピリチュアル的にいえば、皆が同じ世界を共有しているというのは幻想で、それぞれが「自分の世界(観)」を生きています。
自分に起こる問題は、相手が引き起こしているように表向きは見えても、実際には、自分の中で起こっている自分の領域での反応です。
自分が変われば、自分の世界、自分の領域が変わりますよね。
そうすると、自分の世界を通して見る、相手のようすも、以前とは違って見えるようになります。
相手が、実はまったく変わっていない場合でも笑、「それを、自分がどう見るか」が変わる、または「それが、どう見えるか」が変わるということです。
たとえば、相手の欠点について、以前の自分は50%くらい気にしてイライラしていたとします。自分が変わったことで、気にする度合いが40%になって、イライラの度合いも下がってくると、(変わったのは自分なのですが)相手の欠点が小さくなった、相手が変わった、という受け止め方になるわけです。
お互いに刺激を与え合う、人間関係という学び。
①と②と、両方がどちらも関連していると思いますが、どちらかといえば、①のほうが多いでしょうね。人がお互いに与え合う影響というのは、それだけ大きいものなのです。
いろんな喜怒哀楽をかわす相手がいる、自分との違いに気づかせてくれる相手がいる、自分を鏡のように映してくれる相手がいるという、人間関係とは、本当に大きな学びです。
また、自分が変わることで、そうした「相手という存在」のありがたさに気づくと、受容力や許容力も大きくなって、それが相手の印象の(たとえば欠点の)比率を変えることもあると思います。こちらは②に関連することで、相手は変わっていなくても、自分が大きくなったことで相対的に変化が生じた、ということになりますね。
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