得意な資質をいかしていく生き方も、苦手に挑む生き方も、どちらも「経験という学びになる」という意味では、同じです。
しかし、現世的にある基準以上の成果を上げたいと思うなら、得意分野を見極めて「自分の資質に、より合っていることを選ぶ」のが近道となります。
「自分に合うものを選ぶ」というのは、「努力が、最大限にいかされる可能性がある形態を選ぶ」ということでもあります。
どんなものを選ぼうと、努力は必要です。合っているものを選べば、それで楽が出来る、という意味ではありません。
よくある勘違いとして、「自分に合っているものを選べば、成功までの努力が最小限になる」、という解釈がありますが、どんなことだろうと、一定レベル以上の成果を得ようとすれば、大きな努力が必要なのは当然で・・・、まったく資質に合っていないことに、延々と時間を費やすケースと比較すれば、努力は結果に繋がりやすいかもしれませんが、道のりが楽になるという意味ではないのです。
「適性の大きさ」と「努力の大きさ」の関係は、掛け算で、成果という答えにつながる、ということです。
足し算ではないので、どちらかの数値が、極端に低ければ、もう一方の数値がどれほど大きくても、掛け合わせた結果は、あまり大きなものになりません。
適性が高くても、努力が十分でなければ、形になりにくいでしょうし、適性が小さいことに、どれほどに打ち込んでも、(・・・打ち込んだという経験そのものには、学びはありますが、現実的な成果という意味に限定すれば)、やはり、掛け算の結果は、大きな数字にはなりにくいです。
そう考えると、努力が成果に反映しやすい分野は、自分の資質にみあった、適性の高いもののほうですよね。
けれど、苦手なことでも、自分がそのことが好きで、努力をしている過程に手ごたえを感じることができて、現実的な成果は二の次、と考えられるなら、どんな生き方も自由です。
この考え方は、あくまで「現実的な成果につなげることを前提とするならば」という観点からのひとつの解釈の提示です。
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