スピリチュアリズムの前提として、人は「肉体という物質を伴っている、霊的な存在」で、いろんな制限のある、この世という場所でのできごとを通して、たましいの成長のために学びを重ねているという解釈があります。
肉体とは、この世での学びの時間を過ごすための「借り物」であり、内包されている「霊」がメインであるというのが、霊的な観点からの解釈です。
しかし、この場合の、メインの意味を取り違えないようにしてください。
メインというのはあくまで、どちらがより本質的であるかという便宜上の区分けです。
霊的に解釈すれば、霊が本質であるということ。
霊的な観点からみれば、勿論、霊が主軸になりますし、そちらが本質的であるのは当然のことですね。
霊のほうが大事で、肉体や物質の価値がそれより軽いという意味ではないです。
この点は誤解されやすいのですが・・・、スピリチュアリズムとは、物質よりも霊を重視しましょうという思想ではありませんので、霊がより価値が高く、物質が価値が低いという位置付けではないということです。
どちらもそれぞれの価値があります。両方があってこそ、人という存在がこの世で成立しています。その上での学びなのですから、どちらも大事なのです。
重なっている、ひとつである。
この二つの要素の構図としては、霊的なことと、現実的なことという、両極があるのではなく、現実的な事柄の中に、霊的な要素が含まれて重なっているのです。
(肉体と霊とが)左右にわかれている天秤ではなく、大小が重なり合っている器のようなものをイメージするとわかりやすいでしょう。本質は、より内側にあるということです。
形のないものを、形のあるものの中に「見いだしていく」姿勢で、自分の内面を成長させていくのが、この世における霊的な生き方となります。
形のないものを必要以上に崇めて、形のあるものを軽視してしまうと、視点を向ける先がずれてしまいますので、そこは注意していきましょう。
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