この人生での経験というのは、それぞれ別の事柄であってもすべて「自分を通して繋がっている、ひとつ」となります。
それぞれ相手が違っていても、状況が変わっていても、時期がまったく離れていても、それらを経験している自分という存在は同じですから、
個別のそれらが、自分の中で繋がって、「3年前のあの件と、昨日のこの件を通して、自分は大事なことに気づいた」というような学びになることがあるのです。
しかし、その気づきに至るまでの「途中」では、個別のパーツが何を構築していくのか(そうして、自分は何に気づくのか)は、わかりません。ある程度のパーツの「数」「量」が揃わないうちは、推察をすることも難しいことでしょう。
自分は何をしているのか、どこに向かっているのかがはっきりしない状態は、イライラしたり、現状に迷いがでたりするものですが、
経験を重ねていくことで、少しずつ、関連している何かが見えてきて、「過去が確かに今にいかされている」ことがわかってくると、
自分という存在が作り上げてきた人生という道に、手ごたえを実感できるようになります。
そうして安心して満ちた気持ちは、「自分を信じていられる状態」とも言えると思います。
自分を信じるというのは、気の持ちようとか、意識の向け方ということではなくて、そうして、ある程度の時間を費やした「経験の蓄積」が、自然と作っていくものなのではないでしょうか。
もしも今の時点で、自分を信じる気持ちが十分でないようで不安だという人も、少し先の未来になれば、その分だけ経験の「数」「量」が増えていきますから、
重ねたそれぞれの経験に、いろんな繋がりがあることに気づいてきて、自分がこれまでに作り上げてきたものは思っているよりずっと「大きい」とわかるようになるでしょう。
そうした経験の繰り返しによって、この先の未知の事柄についても、進んでいく道の先で、答え合わせができるようになっているものだと思えるので、心の余裕をもって進んでいけるようになります。
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