決められないのは、慎重で、真剣であるからこそ。

複数の選択肢を前にして、「AとBでは、どちらがいいだろうか」と、決められないことがありますよね。

生きていくということは、判断と選択の連続ですから、こういうことはしばしば起こります。

なかなか決められないときに、「自分は決断力がない」とか「優柔不断だから」というふうに分析して、決断力をつけようとか、はっきりした性格になると自分に負荷を掛けようとする人がいます。

けれど、多くの場合、決められないのは、慎重であり、真剣に考えているからこそです。

思い入れが少ないことは、あっさり決まる。

慎重になり、真剣にとらえていないことなら、つまり、思い入れが少なくて、こだわらずにいらえることなら、迷わずあっさりと決められます。

どちらでも大差ないとか、どちらでもかまわないことなら、そんなに悩みませんからね。

どちらでもいいし、どちらかが思いついたとしても、選んだ理由は特にない、ということになるのではないでしょうか。

思い入れがあることは、慎重に最善を選びたくなる。

たとえば、お昼ご飯を、Aランチにしようか、それともBランチにしようかという判断は難しくはないのです。

実際のところ、どちらもそんなに変わりませんね。もしも、Aを選ぼうとしたて、Bしか残っていなかった場合も、「それならしょうがないね、今回はBにでいい」と割りきることができます。

けれど、自分の思い入れが強い事柄ならば、どうせなら最善を選びたいという気持ちから、複雑に選択のポイントを考えてしまい、なかなか決められないものです。

どちらもよい選択肢の場合、選ばない辛さがでてくる。

また別のケースでは、AもBも、どちらもよい選択肢の場合、ひとつを選ぶともう一方を諦めることになってしまいますから、そこが辛くて選べないこともあります。

AでもBでも、どちらも素晴らしいので、どちらも手放したくない気持ちで、どちらも選べない状況は、よい部分を見つけることが上手な人ほど、陥りやすい状況です。

時間をかけて考えるほどに、「それぞれに、選びたいだけの魅力」があって、「どれも手放したくない辛さ」もあって、「選ばない」、または、「選べない」理由ばかりが思い浮かび、ますます答えがでなくなります。

思い入れの強いことに、慎重に、真剣に考えるほど、そういう状況になりやすいのです。

つまり、これらは、最善がどれなのかという迷いではなく、最善なのはわかっていても、ひとつを選ぶことで、それ以外を選ばない辛さで、決められないだけなのです。

選ぶことには喜びがあっても、選ばないことには痛みを伴うこともあって、ここが難しいところなんですよね。

選べないときには、選ばないままという選択もあり。

この世というのは有限の場所で、一日は24時間、身体はひとつ、自分ができることや抱えられることには限りがあります。

何かを得ると、その分何かを諦めたり手放したりすることが必要な場面もでてきます。

そのことを受け入れていくことが、人生を進ませていくことだとわかってはいても(ほとんどの人は、頭ではわかっています)それでも、選ぶ、決めるということは、(他を選ばない、ということになるので)苦しさもあり、難しさもあります。

そういうときには、無理に選ばずに、当面はそのままという選択もいいと思います。

どうしても選べないときは、選べない、決めきれない何かが自分の中にあるからそうなるのですから、少しだけ時間をとり、迷ったままで(無理に決めずに)過ごしてみるのもいいと思います。

心の中がある程度整理されていけば、判断材料となる要素の優先度も決まっていくようになるでしょう。

あえてしばらくの間、グレーの曖昧さで過ごすして、インターバルをとることが、後に役立つ場合も多いです。

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