日本人は、宗教観というのは特定のものへの思い入れは薄くて、見えないものや形のないものをうやまうとすれば、その価値観は、倫理観や道徳観として根付いているように思われます。
しかし、それでも仏教が(形式的なものであっても)一般的になっているため、霊に対する「供養をする」という感覚は、多くの人が持っていて、
その感覚の延長で、守護霊に対しても、そうした行いをする必要があるかとたずねられることがあります。
ですが、守護霊という進化・向上した存在に対しては、
そうした形式の行いは、しなくてもまったく問題がないです。
守護霊とは、進化・向上している存在です。
供養というのは、身内の霊や、または知らない相手でも、その存在や生前の行いなどに「敬意をはらう」という意味合いが大きいと思います。
または、この世に思いを残さずに、霊としての浄化や向上を願って、こちらの世界から、祈り、願うような行いですよね。
守護霊という、自分を導いてくれてている存在への感謝から、敬意を示したい思いだったり、または、さらなる守護霊の進化を願い、その助けになればというお気持ちからのご質問なのでしょうけれど、
守護霊とは、既に進化・向上している存在であり、
また、自分と守護霊は「お互いに、自分自身とも言えるくらいの近い関係」であるので、そうした「改まった行い」というのは、あまり必要としないものなのです。
供養をしてめいふくを祈るという行いは「この世的な観点からの行い」ですよね。
守護霊に対して示したい思いがあるなら「霊的な観点からの対応」として、
この人生という、自分の生き方を通して示していけばいいと思います。
それが一番、自分の思いや敬意が伝わる方法です。
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