人としての学びが、霊としての学び。

スピリチュアリズムでは、人は、「身体という器をもった、霊的存在である」という前提で、この世での経験が霊としての学びでもあるというとらえ方をします。

この世には、時間というしくみがあります。これは霊的な世界には存在しない、この世特有のものなのです。

時間があるため、この世のものごとはすべて「変化」していきます。同じ状態で留まることがありません。

そうした環境の中で、人生という時間をどう使うかが、それぞれに与えられた大枠の学びともいえます。

この世とは、たましの「学びの場所」です。

・「この世という物質的な世界が「すべて」ではないこと」

・「つまり、霊的な世界が「在る」こと」

・「人は、「身体をもった霊であること」(霊を宿した身体、ではない)」

・「霊であるゆえに、人は、霊的な要素や存在からの関与や影響をうけていくものであること」


このような前提の上で、この世での「人としての学び」を推進していくための知恵であり指針となるのが、スピリチュアリズムです

人としての学びとは、霊としての学びです。

人として在るべき生き方をしていければ、そこに霊としての向上もついてくるのです。

人格とは、つまりは霊格です。人としての在り方と、霊としての在り方は、かけ離れた別個のものではありません。

この世という限られた場所で、(本来は、誰もが霊として備えている多くのうちの)限られた「部分」を発揮し、体現し、経験し、向上させていきながら、「全体」や「完全」への道を進んでいくことが、この世における霊としての学びといえるでしょう。

しかし、そこまでの深いところを常に意識する必要はありません。なぜなら、人としてあるべき姿を体現していけば、それがそのまま霊としての向上にもなっていくからです。

逆に、深いところを意識しすぎても、日々の現実に向けていくべき意識が十分でなくなり、地に足がつかなくなってしまいます。

知識は学びの助けになりますが、知識だけでは向上できません。スピリチュアリズムという指針にてらしながら、人としての成長、人としての学びを心掛けていきましょう。

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