他人の会話や、テレビから流れる音声のうち「感情が乗っている声が、ひときわうるさく感じられる」という人がいます。
ニュースなどの状況説明をしている声なら気にならない、しかし「その人の気持ちを話していたり、高揚感が含まれていたりする声」は、うるさいとか、わずらわしいという感覚になるのは、
耳から(音を通して)エネルギーをキャッチするセンスが高い方に多いですね。
物音なら平気、感情の乗らない声なら平気。
うるさいと感じるのは、声が大きいからではなく、感情が乗っているからという理由です。そのため、いくら大きくても「物音」ならそれほど気にならないようです。
人の声でも、感情が乗っているかどうかが関連するようで、たとえばテレビのアナウンサーの声など、個人的な感情があまり含まれていない、職業人の声なら、たとえボリュームが大きくても気にならない、
しかし、熱意をもった会話をしている声とか、バラエティ番組で盛り上がっているときにの出演者の声であれば、「声という音が、自分の内側にくいこんでくる」かのように感じられて、わずらわしくてうるさい、という印象になってしまうのです。
①耳が敏感であること、音に敏感であること。
②エネルギーの振動に敏感であること。
③感情の乗ったエネルギーを、感じ分けることができる(そのセンスが極めて高い)こと。
④どちらかといえば、他者との関わりよりもひとりのほうが好きである。
生まれ持って、上記のような性質が揃っていると、こうした「声」に対して、負担のような感覚が生じやすいようです。
パーソナルな要素が含まれている「重さ」がある。
声という音は、エネルギーの振動そのものです。そうした振動を、敏感に察知するタイプの人がいるとしても、「感情の乗った声」だけが、わずらわしいのはなぜか。
それは、感情という思いは、とてもパーソナルな要素が含まれていて、ある種の「重さ」があるからです。
その重さが、自分に干渉してくる圧力のような体感となったり、外からの力が自分に掛かってくる働きかけのように感じられる人もいるということなのです。
自分のエネルギーを「クッション」にする。
こうした「敏感さ」はもってうまれた性質なので、敏感なものを鈍くすることは難しいです。そして、敏感さは、優れている点でもありますので、そちらをいかすことも大事です。
敏感さを改善するのではなく、別の方法で影響を小さくするというとり組みが適していると思います。
「普段からコンディションを下げないように、保っていけるようにする」という、とても普通のことが、もっとも効果的で、現実的です。
元気いっぱいのときは、元気さのエネルギーが、自分を取り巻くクッションのように働き、外からの刺激を吸収してマイルドにしてくれるからです。
元気がないときは、エネルギーのクッションが作用しないので、外からの刺激がダイレクトで「過剰」に感じられてしまいます。
人の「思い」が乗った声は、ときに「重い」と感じられることも、敏感な人にとってはあることですので、そういう感じ分けができる個性とうけとめていくといいですね。
コメント
こちらの記事を読み返してみて、まさに自分に当てはまる気がします。
決して騒がしい場所が嫌いとかではないですが、疲れている時や悩み事があってメンタルが落ちていると、記事の様な状態になってしまう事があります。
私はどちらかと言うとバラエティー番組やお笑い番組が苦手です。落ち着いたバラエティー番組や芸人さんが単独でお笑いを披露している時はまだ平気ですが、雛壇にゲストがたくさん居て皆んなワイワイと声を張って盛り上がっている状態はテレビから離れてしまいます。
またとても重い感情がこもった声…映画やドキュメンタリーは同調しすぎて辛くなります。
感受性が強い…という表現しか知りませんでしたし、それをネガティブな要素として捉えがちでした。
しかし、仕組みを理解すると面白い?というか(スピリチュアルな)個性って色々とあるんだなぁと客観視できて良かったです。
ゆくり様
直接に生活上で聞く声よりも、テレビの声ってわかりやすいんですよね。声の大きさ(ボリューム)とは違う意味で、強さがあるような、うるさいと感じるような、そういう微妙な感覚が比較しやすいので。しくみを元に理解するとすべてのものごとが違う角度からも意味をもってくるので面白いですよね☆