大きな変化の刺激を好む人が、家族や友だちにいる場合。

どのような事柄に価値を覚えるかは、人により違いがあります。

これはもう本当に千差万別で、人の数だけ違いがあるようにも思います。

その中には、「大きな振り幅の変化が心地よく、小さい変化には価値を見いだすことができない」タイプの人がいます。

そういう人は、常に「非日常」を求めるので、やれ留学だ、転職だ、ステップアップだと忙しく、活動的で社交的です。

そうした姿勢で得られるものも大きいでしょうけれど、安定していることに価値を見いだしにくいので、せっかく積み上げてきたものを簡単に手放したり、壊したりします。

人間関係においても刺激を好み、一般的にはちょっと敬遠されるような、影があるとか、危険な香りがするような異性との交際で周りの人をハラハラさせます。

夜の森の中にいる妖精

大きな刺激が心地よいという感性の持ち主。

 

「平均的な感性」の人からすると、どうしてリスクが伴うとわかりきっていることや、不安定な方向ばかりに足を踏み入れるのか、せっかく手の中にある既存のものや安定しているものを大事にしないのかと不思議に思えるけれど、

そういう人は「大きな刺激が心地よい」ので、「自分的に心地よいものを選んだ結果、そうなっている」ということで、本人的には不安定なほうへ向かっているつもりはないのです。

大きな刺激が心地よいとは、言い換えると、小さい刺激には価値を覚えにくく、「日常の小さな事柄に、深く感じ入って価値を見いだす」という心の動きはなされにくい、そういう性質の備わり方だということです。

友だちや家族などの身近な相手に、そういう人がいると、心配になり、もう少し落ち着いて、心配しなくてすむような生き方をしてほしいと思うけれども、

「何に価値を覚えるかは、人により違う」ので、そこは理解をしていくことも大事だろうと思います。

自覚をうながす場合は、表現のしかたに工夫を。

友だちや家族などの親しい立場の人からすれば、いくら本人を尊重するといっても、あまりに極端な行動ばかりで安定から遠ざかると、

デメリットも発生する可能性はあるわけで、「本人が困らないように」という気持ちから自覚を促したくなることがあると思います。

その場合は、本人の性格をふまえて、どのくらいのアドバイスをするか、またはしないか等を、判断することでしょうね。

中には、周囲があまりうるさく指摘をすると、反発するかのように、ますます極端な方向へいこうとする場合もあるからです。

また、そういうタイプの人は、実際に経験してみてわかるという学び方が合っていることが多く、行動を制限しすぎてしまうと経験が少なくなり、成長の機会も少なくなってしまう(かもしれない)という、その点も関連してきますから、

許容範囲内の事柄については、経験が学びとなることも多いので、その点を理解した上で、必要に応じた話し合いをしていくことでしょうか。

こうした特徴も、年齢とともに、ある程度は落ち着いていくことも多いようなので、長い目でみていくことも大事だろうと思います。

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