自分にないものや、自分が得たいものを持っている相手に対して、快く思わないという、妬み・嫉みの感情が出てきてしまうことがあるものです。
誰の中にも、少しくらいはそういう感情があると思いますが、その感情が頻繁に出てきてしまうとか、いつまでも薄れていかないときは、「そういう感情を抱いてしまう自分に、否定感でいっぱいになる」という、別の苦しさがでてくることもあります。
こうした気持ちになる人は、「嫉妬」もあるけれども「真面目さ」もあるのです。だからこそ、自分を責めるような気持ちになってしまうのだけれども、
必要以上に否定的にとらえることはなく、嫉妬という感情を、認めてあげても大丈夫です。
こういう気持ちになったときには。
まず、自分を責めることを、ひとまず休止します。
嫉妬の感情は、誰にも少しくらいはあるものです。また、嫉妬の感情が役立つこともあります。殊更に、それを悪いもののように見なさなくてもいいのです。
たとえば、「自分も努力をして、次は負けないぞ」と、気合いがはいって頑張ることができたり、「自分は、あの人と同じようになりたいと思っているんだな」と、自分の望んでいることに気づいたりすることもあります。
大きな感情の動きによって、得られるメリットは「気づき」です。
他人に抱く嫉妬が、はっきり悪影響になるケースとは、周囲に対して攻撃的になってしまうとか、自分を必要以上に卑下して悲観的になり、生産的でも建設的でもない思考や行動を重ねてしまうケースで、それは、全体のごく一部に過ぎません。
私はこれまで、「自分の嫉妬心が押さえきれない」、「自分の嫉妬が酷いと思うので、なんとかしたい」というご相談を多数いただいてきました。
けれど、ただひとつとして、そのことを、霊界がとがめるかのようなメッセージが伝わってきたことはない、と記憶しています。
むしろ、そうして、自覚していることについて評価されたり、分かっているなら、いつか乗り越えていける、それを力に変えていけばよい、というようなことが、伝えられるケースが多いです。
自分の感情を見つめている冷静さがあるなら、もうその時点で、感情にとらわれてはいないということですから、嫉妬とも、よい距離感でつきあっていくことができるようになります。
感情をなくそうとしたり、感情をいだく自分を責めたりせずに、それを、自分が進んでいくための力にしていくという、「感情とのうまい付き合いかた」をとっていけばいいということです。
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