この時代のこの国で生きる私たちが、恵まれているところは「選択」ができることだと思います。
ある程度の自由があり、情報があり、手段として活用できる物質も潤沢にあり、それらをつかい「自分の意思」で動いていくことができる価値を、理解することは大事ですね。
この人生を霊的な観点から導いている「守護霊」は、進化・向上した存在で、たくさんの知恵があり、人間的な感情や感覚にとらわれない霊性を備えています。
守護霊ならば、私たちの行いについて「私たちより適切な判断」はいくらでも可能でしょうけれど、それでは「選択ができる状況をいかした学び」になりません。
いくら適切で正しいものであっても、守護霊が「答え」を与えてしまうなら、それは「支配」になり、自力の発揮を妨げます。
自分で選択をすることが苦手な人にとっては、「経験の機会を奪う」ことにもなりますから、守護霊はいきなり「答え」を与えたりはしないのです。
自分で判断して選択が「できる」状況は、学びのために必要で、そしてとても恵まれていることです。ですが同時に判断を「しなければならない」という負担な面もあります。
ものごとには「裏表」の両面があります。どちらも「この人生で与えられている学び」で、経験していくことでわかることやできることが増えていくようになっています。
守護霊とは霊的な観点から「学びをサポートする存在」ですので、学びを邪魔することはあり得なく、学びが進むように導いてくれるのですから、
自分が「選択ができる状況をいかして進もう」とする姿勢になったときに、守護霊のサポートは、その進みを後押しするように与えられていくのだと思います。
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