「自分は、まだまだ何もわかっていない」とか、「自分の認識力が低いために、わからないことばかりで困る」という自己評価を持っている人が、実は逆である、というケースがあります。
本人の認識とは逆で、「平均よりもずっと、いろいろわかる人である」ことが、「わかっていないような気分」を作りだしてしまうことがあるのです。
把握するセンスや、解釈する力が平均より高く備わっていると、多方面からものごとを眺めることができます。
自分の側、相手の側、現時点、未来の可能性、過去の実績、その他いろいろなことをふまえて、ものごとをとらえようとします。
「自分の側からはこのように思うが、相手の立場としてはどうだろうか」、
「無関係な第三者への、影響とはどのようになるだろう」、
「現時点ではそうでも、将来的には変わるかもしれない、そうなったときに・・・」と、
あらゆる方面から、思考を組み立てていくことが「できてしまう」と、把握の幅が広すぎるゆえに、自分はどうしたらいいのかという点を、決めにくくなることがあります。
わからなければ、選択肢はもっと少ないのです。わかるゆえに、選択肢がたくさん増えてしまいます。
そこで、優先度などがよくわからなくなると、「自分はわかっていないから、こうなってしまう」という、逆の解釈につながってしまうのですが、しかしこの状態は、たくさんわかるからこその迷いなのです。
しかし、本人的には「自分は、わかっていないから、ひとつに決められないし、はっきりしない思考になってしまう」と、自分を過小評価し、
改善するためのとりくみをしなければと、もっとわかるようにならないと、とますます複雑に考えて、自分を何とかしようと、頑張り過ぎてしまうこともあります。
自分のことよりも、相手のことを気にしすぎたり、配慮しなければという思いが強い人は、そのように考えることが「できる」という時点で、多方面からの見方ができる幅の広さを備えているというなのだけれども、この思考パターンにはまって、自分を過小評価しているケースが結構多いです。
「わかっていない」のではなく、「わかりすぎて、決めにくい」というケースもあるということです。
その場合の改善策は、もっとわかろうとすること・・・ではなく、「わかっている多数の中から、どのように、どれを選んだり決めたりするか」の基準を見つけることです。
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