この世で展開するすべての出来事には、同じ要素をもつもの同士が引きあう「波長の法則というしくみが関連しています。
人間関係についてもこのしくみが当てはまり、何かの共通点を持つ人同士で、関わりがつくられていくことになります。
しかし、その度合いは、いろいろで、共通点がたくさんある相手もいれば、ほんの少しの相手もいます。
それがこの世の、人間関係の難しさであり、学びでもあります。
共通点の度合いが違うからこそ、わかることがある。
Aさんとは、心地よいと感じる対象が似ているので気を使わないでいられる、しかしBさんはまったく違っていて、配慮してあげても喜ばれないのでよくわからない、・・・という2つの人間関係があるとして、
Aさんとの共通点から、「ここが同じだな」と自分を知り、
Bさんとの違いからも「ここがまったく違う」と自分を知ることができます。
そして、自分との比較だけでなく、AさんとBさんについて、「あの二人は金銭感覚が似ている、しかし、お金を使いたい対象がまったく違う」などと、他者同士の比較でわかることがでてきたりもします。
共通点が多い人ばかりの集団にいても、違いに気づくことができません。違和感がないと、警戒感もありません。安心していられる分、あまり深く考えません。
共通点が少ない人ばかりの集団にいると、違いが気になるものの、比較して計るという感覚が働きません。違うことの警戒感や不安が先にたち、どこが違うのか、どうすればいいのかという建設的な思考になれないものです。
共通点が多い人も、少ない人も、いろいろいるからこそ、安心したり、警戒したり、いろんな感情を持つことができます。
事実の違いからも、自分の抱く感情や思いの違いからも、たくさんのことを計って、わかることが増えていきます。
もしも、自分をとりまく人間関係が、「共通点が多い人ばかり」だったとしたら・・・、
とても気楽にいられて、緊張することも警戒することも少ない状態で過ごせそうです。
しかしその分、「今の自分がわかっている、いろいろな知識や知恵」は得られず、「これをしてみたい!」「こんなふうに頑張りたい!」という、意欲や向上心も、わいてこないかもしれません。
そう考えてみれば、共通点が多い人も、少ない人も、どちらも必要であるとわかります。
私たちが過ごしているこの世という場所は、必要な要素で構成されている、学びに最適な場所なのでしょう。
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