現実の中のすべてに、スピリチュアルな要素が含まれている。

スピリチュアルという言葉は、「霊的な」という意味を持ちます。

人は、肉体をもった霊的な存在である、というのがスピリチュアリズムの解釈です。

この世のできごとのすべてに、霊的な存在である私たち人間が関わっている以上、広い意味でいえば、この世のすべてがスピリチュアルである、とも言えます。

オーラや前世などが関連しない、日常の現実的なものごともすべて、霊的な存在である人が関わっていて、何らかのたましいの学びの要素が含まれているだろうととらえるならば、何もかもすべてがスピリチュアル、なのです。

しかし、この世には時間というしくみがあり、限られた時間を過ごすことで学んでいる私たちにとって、何もかもを同じような受け止め方で、霊的な意味や意義を見出そうとしてしまっては、どこまでもキリが無く、学びも進んでいきません。

すべてに意味があり、偶然はないとしても、とりわけ重要な意味を持つこと、そうではないことの差はありますし、あえてスピリチュアルをからめてとらえる必要はないことも多々あるでしょう。

小さい経験からでも、何かしらの気づきを拾い上げて、今後に活かしたいという姿勢は素晴らしいことです。

けれど、あまりにこだわりすぎても、意味を見出そうとするあまり、些細なことに対して、こじつけのような大げさな解釈になったり、考え過ぎて決断や行動ができなくなったり、自分で考えて決めるという自主性が発揮されなくなったりすることもあります。

意識を向けるべきところは目の前の現実であり、現実的な解釈をすることが前提で、そうした現実の中に、スピリチュアルなことが必ず含まれているのだから、「現実をしっかり生きていれば、スピリチュアルな学びも比例して進んでいく」という、偏らないバランスが大事なことだと思うのです。

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