頑張ってもうまくいかないという気持ちが、自分を被害者にしてしまうことがあります。

自分を認めず否定する気持ちが根底にあると、ものごとがうまくいきにくいです。部分的にはうまくいってもトータルではそうでないとか、自分に負荷が掛かりすぎて長続きはしないというのが、自分を否定している人にありがちなパターンです。

ここで「自分を否定していたり」「過小評価していたり」に気づいて改めていけたらいいのですが、なかなか自分のことは客観視できずに、真面目な人ほど「もっと頑張ることで成果を大きくしよう」という方向に行きがちです。

そしてそれでもうまくいかない(通常はうまくいきません)ときに「自分を被害者にする」という形でこの状況を正当化してしまうことがあります。

どんなに努力をしてもうまくいかない被害者だ、というポジションにもっていくことで、ある意味自分を肯定できるからです。

ランプを手にする妖精

ですがこれは、気持ちの上では慰めになるとしても、頑張りがものごとの成果に結びつかない事実は変わらず、状況が改善されません。いつまでも「頑張りが報われない被害者で居続ける」ことになります。

否定をとりのぞかないままだと、否定ごと肯定してしまうとこういう「認識のねじれ」が出てきてしまうのが、とっても難しいところなのです(>_<)。。。

自分に否定があると、自分にとって一番の選択をとることができず、ダメな自分にふさわしい(と思ってしまう)微妙に低めの選択をしてしまうので、頑張っている方向性がもともとズレていることがあります。そうなると頑張りを重ねても成果が積みあがっていかずに空回りになりますよね。

このように、自分を追い込むような頑張り方をして苦しくなっている人は少なくないです。真面目な努力家さんほど、このパターンにはまりがちです。私もこういうパターンが大得意で、ワーカホリック気味なのでどこまでも自分を追い込んでしまうのですが、それでは全体がうまくいくことはないんですよね(>_<)。きちんと成果がでる方向の頑張りをするために、自分の否定や過小評価に気づいて、まずはそこを手放していきましょう。

コメント

  1. みお より:

    「自分を否定することをやめる」の一連の記事を興味深く読ませていただいております。私はかなり頑張る人間だと自分で思っていますし、自分で言うのもなんですが真面目な方だとは思いますが、なぜか思ったような成果や結果が手に入らなかったり、他人に振り回されていたり、損をしたりばかりです。そして「頑張ってもどうせうまくいかないキャラ」みたいに自分を認識することで自分を楽にしている気がします(この記事を読んで自覚しました)。一連の記事を拝見して、もしかしたら自分では無意識に自分を否定しているのかも?と思えるところまでは来ました。が、おそらく長年の自己否定が当たり前すぎるからなのか、具体的に自分の中のどういった考え方が自己否定に繋がっているのか、はっきりとわかりません。この意識を変えて人生を変えていきたいと思っています。タイミングが合えば、近いうちにセッションを受けさせて頂きたいなぁと思っております。

    • リカコ リカコ より:

      みお様

      自分の否定とか、過小評価という事実は自分の中にあるとしても、これらの単語が普段使わないか意識しないものだと、当てはめた解釈がやりにくいかもしれません。たとえば「劣等感」などで置き換えてとらえてみた場合はどうでしょうか。誰かと比較することから生じる感覚なので、自分単体で存在しているもののようにとらえにくいですが、これらも「自分の過小評価」と結びついている場合もあると思います。タイミングがあえばぜひセッションのお申し込みをお待ちしています(^_^)/

  2. みお より:

    劣等感。まさにこれかと思います!頑張りも、この感情がベースにあると結果に歪みが出るのでしょうね。劣等感の解消のために「もっと頑張る」ことに力を入れても、思うようにいかず、さらに劣等感を強めてしまうのかも…。根深い問題のような気がしてきました。考え方や思考の癖を正していけるように、セッションの機会を楽しみにしています!

    • リカコ リカコ より:

      否定があると気づいて、否定そのものを手放すというのが望ましい「取り組みの順番」です。否定をそのままにして肯定的なこと(解消のためにもっと頑張る等)をすると、「否定ごと肯定してしまう」ので、むしろ「否定も一緒に強化されてしまう」んですよね。それでおわりがなくなってしまいます。。。このあたりのしくみは過去記事にも書いてありますので、劣等感と置き換えて再度ご覧になってみると、また違う気づきが得られるかもしれませんね!