プロセスを踏まずに、幸せになるという考え方で。

とても真面目な性格の方で、幸せというものを、難しくとらえすぎているケースがみられます。

幸せになるためには、ひとつひとつ順番に、問題となっていることをクリアして、あるレベルに達していくことでなされるもので、そうしたプロセスを踏まないと幸せは手に入らない、

幸せとは、とても難しいものであり、簡単には得られないものという解釈で、自分に制限をかけています。

たとえば、「このような自分に自信がない状態では、幸せになることはできない、まずは自信を持っていけるように○○をしていこう」とか、「不安な気持ちがあるので、不安を取り除いてから幸せになろう」というふうに、

いくつものプロセスを設けた考え方をして、自分を狭い枠におしこめることが、幸せになることを「自分が」難しくしています。

何もクリアしなくても、幸せになることはできる。

自信がないことや、不安な気持ちがぬぐえないことは、できるなら解消・改善していくほうが望ましい要素だとは思います。

けれどそれは「幸せになること」を遮るほどの大問題ではないはずです。

自信がないままでも、不安を解消しないままでも、幸せになることはできます。

実際に、「現在、幸せを感じている人たち」も、自信満々な人ばかりではないですし、不安がまったくゼロということもなく、たくさんの思いを抱えているのではないでしょうか。

誰もが、不安も心配も、幾らかは抱えているのが普通です。

この世という場所も、肉体をもった霊としての私たちという存在も、不安定で固定されてないものですから、変化がある分どうしても、不安定さが生み出す感情は出てくるものなのです。

自信がないままでも、不安を解消しないままでも、幸せになることは自分次第で可能です。

矛盾を抱えながらでも、幸せになることはできる。

一見、幸せになることを難しくしているような要素があっても、そのままで、幸せになることも、場合によっては可能であり(全部とはいいません)、

矛盾しているあれとこれを、解決しないと幸せになれない、などということはないのです。

世の中を見渡してみれば、自分も他人も、複数の事柄を、同時に行いならが過ごしているものです。

たとえば、家庭のさまざまな雑務をしながら、仕事をしている人はたくさんいます。もっと簡単なことでいえば、食事をしながらテレビをみることもできます。

いくつもの行動を使い分けたり、同時に行ったりすることは、普通になされているはずです。

内面の思いについても、同じ相手に対して「この人は遅刻が多くてが、困るなぁ」と思いながら、また別の場面になったら「芯が強くて、頼りになる」というように、複数の異なる感情を持つことがあります。

私たちは、行動も思いも、ひとつしか抱えられないわけではありません

複数の異なる要素を同時に抱えることができる、ある意味、矛盾している不安定な存在が、私たちなのです

ですから、自信のなさも、不安も、幸せも・・・、一見、相反する要素でも、同時に抱えることができるのです。

つまり、自信がなくても、不安を解消していなくても、そのままで、幸せになることは可能だということです。

プロセスをふまなくても、幸せになることはできる。

真面目な性格の人が、「まずは不安を除いてから、その次の段階として、幸せになろう」という考え方になってしまうのは、おそらく、そうした矛盾が嫌なのでしょうね。

きちんとしなければならない、そういう自分でありたい、という思いが強いために、「こだわり」になってしまうのでしょう。

努力をするのは良いことであり、真面目さも長所です。

自信をつけるための取り組みが、無意味ということではないですから、そうした努力は、自分が必要だと思うなら、続けていくといいと思います。

自分らしい行動をとりながら、幸せになる。

真面目な性格の人は、やはり努力をしてその結果を得たいと考えますから、両方を、同時に行っていくといいのです。

「自信をつけたり、不安を除いたりする努力をしながら、同時に幸せになる」という考え方を、取り入れてみてください

おそらくそれが、やりやすい方法です。

実際のところ、誰もが、多くの事柄を同時進行しています。

ダイエットしながら、お菓子を食べたり笑、テレビを見ながら、電話をしたりという、同時進行をしていますよね。

それと同じように、楽にとらえてみましょう。

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