親子の関係、会社内での上司部下の関係など、年齢差のある上下関係における意思疎通がスムーズにいかず、悩まされることは多いものです。
「ちょっと想像力を働かせて相手の立場になればいい」と、第三者からは思ってしまうものですが、しかし、当事者となってみると、そうした考えになるのは、簡単ではないというのが実状です。
誰にとっても、リアルタイムで経験している「今の記憶」が、記憶の中でもっとも鮮明であり、印象が大きいです。
これからの未来のことは、まだ経験していませんからわからないし、
すでに経験してきた過去のことは、記憶が遠のき印象も薄れていくので、
自分より年齢が上の人や、自分より若い人の、立場や状況を、理解したり共感したりすることが難しくなってしまうものなのです。
そのため「親と子」「先生と生徒」「上司と部下」「嫁姑」などの、年齢差のある関係は、かみあわないことがたくさんでてきて大変になります。
自分が子どもの頃は、年上である先生や親に対して「大人は、なんて一方的なのだろう」と大人の気持ちがわからず、幼さからの不満を持ちます。
それなのに、いざ自分が大人になると、そんな気持ちをもっていた子どもの頃をすっかり忘れてしまうことがほとんどです。
かつての親の立場や大変さには、共感ができるようになるのですけれどね。
自分が部下だった頃は「上司は、なんて横暴で自己中なのだろう」と、社会経験の少なさゆえに勝手な決めつけをします。
しかし、自分が上司になってみると、部下の未熟さばかりが 目に付くようになり、自分もかつてはそうだったことを忘れて、横暴だと思っていた上司と同じ言動をとっていくようになります。
このような繰り返しが、常になされていくものなのです。
先のことは、理屈ではわかっていても、実際に自分がその立場になってみないと、納得が伴う実感をもつことはできません。
過去のことは、記憶が上書きされていき、忘れてしまいます。過去の立場で経験した大変さよりも、今の立場で直面している大変さのほうがインパクトが大きくなります。
皆、その時々の自分の立場でものをみるために、対立も起こりますし、揉めることも、かみあわないことも、たくさん出てきてしまいます。
年代や世代の違う人間関係とは、そういう難しさがあります。
誰もが、そのときの立ち位置からすれば、自分より年齢が上の人にも、下の人にも、どちらにも「言いたいことは、山ほどある」でしょうね、きっと。
けれども、
若い人の至らなさは、かつて自分の通ってきた道であり、
年上の人のことは、これから自分も進んでいく道になります。
そのように考えて、相手に対する不満や期待を少し、緩めていくことができれば、今の自分を楽にすることになると同時に、過去や未来の自分をも楽にすることにも繋がると思うのです。
相手への不満を緩めたり,許したりすると、自分だけが割りをくって損をする気持ちになるけれど、そんなことはないんですよね。
未来の自分も、そうした道をゆくかもしれない、過去の自分もそうだったかもしれないと考えれば、
今の自分の立場で、何をどう受けとめるかという考え方は、かわっていくのではないでしょうか。
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