頼られることが多いのは、「大きなオーラの人」。

やたらと、頼まれごとが多いとか、あてにされる、期待される、「あれをやって」「これをお願い」といわれやすい人は、

おそらく、平均よりも大きなオーラをしています。

オーラの大きさは、影響力の大きさにもなるため、積極的な人や、行動的な人は、その影響力の作用を大きくあらわすことができます。

そういうタイプの人(で、オーラが大きい)なら、他人から、前面に押し出されたり、リーダー的ふるまいを期待されたりするのはわかるけれど、

どちらかといえば控えめで、あまり目立たないようにしている自分が、(たとえオーラが大きいとしても)他人から、頼まれごとをされたり、期待されたりすることが多くなるはどうしてなのか?と、納得がいかない思いになる人も、きっとたくさんいるでしょう。

それは、オーラの大きさとは、影響力の大きさだけに留まらず、「印象の深さ」「存在感の大きさ」として作用する面もあるからなのです。。。

自主的な「働きかけ」などをあまりしなくても、ただそこにいるだけで、存在感大きさは発揮されてしまうので、むしろ、控えめであるほうが「頼みやすい」のでしょうね。

「目立つし、頼みやすい」ために、そうなるのだと思います。

頼まれるばかり、あてにされるばかりでは、疲れますし、嫌になることもあるかもしれませんが、

しかし、大きなオーラをしていることで、メリットを得られていることも、自分の気づかないところで、たくさんあるはずです

そのあたりを、トータルでとらえていくようにして、

頼まれたり、あてにされたりすることを「悩み」にしてしまわずに、印象や存在感の大きさは、自分の「よいところ」でもある、というふうに受けとめていくといいでしょう。

頼まれることを避けようとしても、そうした動きの印象もまた、目立ちやすいので、誤解を招いてしまっても何ですから、

(そこが、大きなオーラの人の、難しいところなのですよね・・・)

お人好しにならないように、適度にかわしながらも、できることは引き受けて動いていくほうが、自分のためにもなりますし、そのほうが、複雑に考えなくてすむので楽かもしれませんよ。

コメント

  1. モーフ より:

    この記事はまさに自分のことだと感じました。

    私は周りが私に望むことをそこまでは望んでいないのですが、いつも多く私のもとにやってきます。その度にある程度は応えるようにしているのですが、その繰り返しばかりで、「何で私には私が望まないことがたくさんやってきて、逆に周りがあたかも普通に手に入れていることはやってこないのだろう」と虚しくなったり孤独を感じたりします。
    そのあたりをどのように考えたらいいのか、どのように行動したらいいのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。

    • リカコ リカコ より:

      コメント欄でのご質問は、「一般的なことへの回答」のみに限らせていただき、ご質問者さまの個人的な事柄への回答は、控えさせていただいています。

      記載なさっている、括弧書き前半の「何で私が望まないことが、たくさんやってきて」というのは、確かに、記事内にあるオーラの大きい人によくある特徴であるとしても、

      後半部分の「逆に周りがあたかも普通に手に入れていることはやってこないのだろう」というのは、オーラが大きいこととはあまり関連がない、モーフ様個人に関わる事柄になると思いますので、

      その両方をふまえたアドバイスを、コメント欄の返信という形で、差し上げることは難しいものであることをご理解いただければ幸いです。

  2. ふみ より:

    私はオーラが大きかったのですね。性格は控えめなのに、いつも大勢の中にいても私一人とても目立つそうで、母が言うには「あなたは色が白くて華やかだからめだつ」と、
    しかしメイクも丁寧にしていますが素肌感をいかしたものですし、洋服もこだわりはありますが、奇抜なものではなく・・・仕事でも名指しであれこれをしてと指示がとびます。人からもすぐ名前を憶えてもらっていたりと。。今やる気もあり前向きな心がいい風になっているのかな・と思いました。いろいろ納得することがありました。

    • リカコ リカコ より:

      頼られることがやたらと多い、という人は、だいたい大きなオーラをしている人が多くて、それは「存在感」という、見た目とは別の、エネルギー的な印象の深さの作用があるためです。

      見た目的に何か、目をひくものがあり(色が白い、華やかである等)その要素が目立つというのは、

      エネルギー的な印象による存在感とは、またちょっと別の要素という可能性もありますが、、、

      オーラの大きさと、両方の作用かもしれませんね。

  3. れん より:

    >適度にかわしながらも、できることは引き受けて動いていく

    オーラが大きいかどうかはわかりませんが、『適度にかわしながら』というのがお人好しのワタシには難しく、結局、疲労がたまり辞職することになってしまったのですが、記事にとても癒やされました。有り難うございます。

    『適度』というのは生活のあらゆる面に応用できる大事な言葉ですね。真面目すぎるワタシの今後のチャレンジ目標としていきたいと思います!ありがとうございました。

    • リカコ リカコ より:

      そうですね、やりたいことも(時間的にも、その他の要因としても)全部はできず、

      やりたくないことも、全部は避けられず・・・、

      ある程度のところで収めておく、または、ある程度は引き受けていく、つまり「ほどよく」ということになるのでしょうね。

      できる上限より、あえてやらないというのは、力の加減が難しいことは確かだと思います。どう抜くと、どう収まるか、経験から身につくまでの時間が掛かるものですから、ゆっくりとやっていくといいと思います!