あちらの世界と、こちらの世界は、重なり合って存在しています。こちらの世界は、あちらの世界の(広義の意味で)一部である、とも言えます。
つまり、この世を生きることは、あの世を生きることでもある、のです。
私たち人間とは、「肉体をもった霊」ですから、この世に生きていても、霊(界)と切り離されることはありません。
この概念は、右と左の両極にあるもののバランスを取ることとは、少々ニュアンスが違って、あちらの世界が「全体」で、こちらの世界が「(全体の)一部分」として、ある部分が(重なっていることで)同時進行しているようなもの、だと思います。
二つが重なって存在しているうちの、この世のみを認識しながら、私たちは生きています。けれど、二つは重なっていて、そのうちの一つであるこの世が、切り離されて存在しているのではない、ということです。
つまり、この世の現実的な事象の中にも、いくらでもスピリチュアルな要素は見出せるはずです。部分の中に、全体を見出す視点をもっていけば可能です。私たちは、その経験のために生まれている(とも言える)のですから、この世ならではの、ときに物質的な経験も必要な学びだということです。
あちらの世界ばかりを過剰に神格化して、この世を軽視することのないよう、どちらも区分けなく包括して考えていくことが必要です。
私たち人間は、「肉体を持った霊」なのですから、私たちがこの世で生きていること、それ自体が、すでに霊的活動であるという前提で、「いかにして、生きるか」を、考えてみてください。
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