自分の長所が分かりにくいのは、知りすぎているから。

自分のことを、一番よく分かっているのは「自分自身」のはずです。

しかし、どこが自分の長所なのかを、最も把握できない人は(自分をよく知らないはずの他人ではなく)自分自身、であることが多いものです。

そうなる理由は、「知りすぎているから」ではないでしょうか。

自分の長所となりうる要素も知っているけれど、それを打ち消すような短所もたくさん知っています。

「優しい人」と評価される自分も分かっているけれど、「優柔不断ではっきりしない」自分も、「他人から良く思われたいから優しくしている」自分も、全部知っているわけです。

そのように全体を総合的に考えてしまうと、「優しさ」を自分の長所として扱えなくなります。

人間とは多面体の存在で、たくさんの要素を併せ持っています。その中には、反対の要素となる組み合わせも存在します。

自分の中にあるたくさんの要素を、知れば知るほど、お互いを打ち消し合う要素が見えてくることにもなり、他人から認められたり褒められたりしても、「でも、本当の自分には、そうじゃない部分もあるんだよね・・・」と、素直に受けとめることが出来にくくなるのだと思います。

自分を分析するのは大事だけれども、主観だけでは、長所は把握しにくいものなのかもしれません。他人からの目線のほうが、「一部だけを切り離して把握しやすい」ので、長所をすくい上げることが上手くできるように思います。

人間は複雑な生き物ですから、相反する要素を持っていることは「普通にあり得ること」で、それは不自然ではないし、偽っているのとも違います。

そうした「いろいろ」の中にある、「一部分の素晴らしいところを、長所と呼ぶ」のは、間違った使い方ではないと思うのです。つまり、他人目線で評価されることは、長所としてそのままとらえていいのです。

長所を打ち消す要素を本当は持っていたとしても、長所となる要素が自分に備わっていることは変わりませんからね。

他人は、自分のことをシンプルに見ているから長所を見つけるのが上手です。

自分を自分で見ることは、自分を知っている人ほど複雑な分析になりがちで・・・、そのために、逆に見えにくくなることがあるのですね。そういう場合は、自己分析はちょっと置いておき、他人の意見を参考にしてみましょう。

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