不安な気持ちから逃れるために、それとは別の何かに一生懸命になることで、気持ちを紛らわせようとしても、なかなかうまくいきません。
心から夢中になれることが見つかって、不安を超える刺激を得ているのでない限り、ムリに「不安を覆うために、別の何かに夢中になろう」としても、自分に対して自分の心を偽ることは難しいからです。
自分のことは自分でわかってしまいますので、ムリにそう思い込みをしようしても、どこかの時点で、「不安がある」ことと、「不安を覆い隠そうとしている」ことに、向き合わされてしまいます。
最初のうちは、新しい刺激が不安を覆ってくれるのだけけれども、刺激が薄れてくると、また別の刺激をみつけて、不安を覆わなければなりません。本当に夢中になっているのでなければ、いずれそうなります。
そうして、あれこれと手を出す範囲を広げることで余裕がなくなって、余裕のなさが焦りとなり、さらに別の不安がでてくることもあります。
そうなれば、どこまでもおわりなく「不安を覆うための行動をし続ける」ことになり、しかし、どこまでもおわりなく、「不安を覚えてしまう自分」との、おわりのないループになります。
不安な気持ちを、何とかして無くそう、減らそう、という対処法もひとつの考え方でありそれを否定はしませんが、そこに選択肢のひとつとして、「不安をそのまま、受けとめた上で過ごしていく」という方法も、加えてみてほしいと思います。
何もしないということではなく、意識的に「不安をそのままにする」ということです。そして、その上で、工夫の行動をとっていくのです。
心というのは柔軟なものだから、同時にいくつもの感情を抱えることが可能なものです。不安があるままで、それが解消したり薄れたりしなくても、そのままで、別の幸せを感じていくことはできるものなのです。
不安そのものを何とかしようとすると、それは、むしろ不安に意識がフォーカスされることにもなります。
不安をなんとかしようとせず、そのままで、別の喜びや、別の楽しさ、向上心や達成感などのほうに意識がフォーカスするように、そういう動きをとってみてはどうでしょう。
つまり、不安とは「別枠」で、自分を高めたり満たしたりす行動をとるのです。
そのほうが、混乱なく、いいバランスで意識が分散されて、不安はなくなりませんけれど、不安を覚える比率は減らしていくことができると思います。
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