これまで、自分を過小評価したり、自信がなかったりして、力を発揮しないまま過ごしてきた人が「これからは、もっと自分らしさを出していこう」と決めたとして、心配になるのは「他人から批判されてしまうのでは」という点ではないでしょうか。
これまでと違う動きをすれば、意地悪な人の目にとまってしまうではとか、ライバル視されて邪魔をされるのではという恐れから、せっかくやる気になっても行動に移せない人は結構多いです。
これはもう、「そうなるかもしれない(ならないかもしれないけれど)」ことを受け入れるしかないですね。なぜなら、これまでより広範囲に自分らしさを出していくなら、それだけ関わりを持つ人や、自分という存在を意識する人が増えることとなり、その中には「自分とは価値観が違う人」も「他人を批判したがりの人」も含まれるからです。
自分らしさを出していこう、自分の力をつかっていこうとするなら、その「対象となる相手」となる「人との関わり」が必要になるわけで、自分としっくりくる人だけと接して、そうでない人を避けることはできません。前者との関わりを得ようとするなら、後者との関わりもある程度はセットになってしまいます。
他人がどんな反応をするかをコントロールすることはできないので、批判は「ありうる」ことを受け入れて、そしてあまり気にしないようにする、という割り切りも必要でしょうね。
批判されることも、ある意味、自分の姿勢の変化に対する「反応」であり、そのことが何らかの意味で自分にプラスになることも「なくはない」でしょうし、批判されたくないから自分を出さないままがいいかといえば、それも決まった答えはないわけで、いずれにしても明確な基準はありません。
結局は、自分がどこまで「決心を固めるか」「覚悟を決めるか」ということになってきます。
何も大袈裟なことではなくて、自分が「そうすること」と、そこから派生する「反応を受け入れる」と決めることです。
それでもなお行動できないときは、自分ひとりだけで不安に立ち向かわなくてもすむような「協力者」を見つけるといいでしょう。応援したり、協力したりしてくれる人がいれば、不安をのりこえることができるでしょう。
☆★
批判されるのではという不安から、やりたいことができない状態の方は、コメント欄に書いていただれれば可能な範囲でアドバイスを差し上げます。または「決心を固めた!」「覚悟を決めた!」方からの意思表明もお待ちしています。書くことで、思考がさらにまとまることはよくありますので、よろしければお書きください!
コメント
リカコさん、こんにちは。
今ちょうど考えていたことでした。
少し前に、仲良くしてたママ友に、自分を出してみよう、リーダーシップを取ってみようと、何故か突然思い、そうしたところ、とても機嫌を損なわれ、距離を置かれてしまいました。
(何故そうしようかと思ったかというと、いつも感情の起伏の激しい彼女のお守り?的な役回りが嫌だったのだと思います。)
そのママ友とは仲良くしていたので、とても悲しく残念です。私としては結構決意してそうしようと思ったのですな、やり方がまずかったなあと後悔しています。
トマトさま
お久しぶりですね。お元気でいらっしゃいましたか(^_^)/
自分の出し方について、不特定多数(対象を決めず)に自分を出していくときには、記事内のとおり「自分がそうしようと決める」だけです。相手が決まっていないので、自分だけの問題だからです。
けれど、ママ友という相手があることは、「自分のあらわしかたという、自分だけの問題」ではなく「自分と相手との間にある関係性」になってくるので、それ以前の付き合いの仕方などを考慮しながら対応していく必要があったと思います。
リカコ様
確かに、本当にその通りです。
何か魔が刺したのかなあと思います。
機嫌を損ねてしまったママ友には申し訳ないことしたなあと思います。
そのママ友さんの件はひとまず置いて(時間が経てば、またいい関係になれるかもしれないので)、その他の関係や、不特定多数についての自分のあらわし方のほうに重点を置いてとりくんでみてはどうでしょう。ひとつ何かがうまくいけば、その他も連動してうまく流れ出すこともありますのでね。
ありがとうございます!
そうですね、不特定多数での表し方に意識を向けようと思います、
前回は失敗してしまいましたが、今度はもう少しうまくやれればいいと思います。
P.S. 最近、お願いしてませんでしたが、いつも楽しくブログは拝見しています!
最近、自分の名前をきちんと出して、自分のやりたいことを表現したり、自分なりの情報を発信していったら?仕事を募集したり、依頼を受けてみたりしたら?と数人の方に言われて、やり方を検討している最中です。
そんなことを考えている中、リカコさんのこの記事に出会いました。
確かに批判は怖いですね。新人時代、会社の上司・先輩と激しく合わなくて自分にも原因があったとはいえ、イジメみたいになったり強く叩かれて傷ついたことがあったので、未だにトラウマです。そういうことを思い出して、自分を表すことは怖い、という気持ちがあります。なんか遠慮しちゃいます。
でも、自分なりの新しいステージを手に入れるには、そういうリスクも受け入れる必要があるのかな、と思います。それに、大抵の、良識のある人は、そんな風に叩いたりはしないですもんね。
Hoshiさま
すべての人にいえますが、新人時代のアイデアや考え方は、やはり経験も知識もない中でつくられたものですから、たとえば計画に抜けがあるとかニーズと違うとか、何かしらの上司から厳しくされてしまう原因はあるものだと思います。ですからそれは「そのときのこと」「新人だった時点でのこと」という割り切りをして、いつまでも「過去の立ち位置での経験をひきずらない」ことも必要ではないでしょうか。今の立ち位置で自分を出していくことは、過去のそれとはまったく違っているでしょうから(^_^)/
批判が嫌なら今のままでいればいい。今のままでいいという選択をする権利だってある。という考え方をしたらふっきれて、やる気になりました。人生設計をしっかりつくります
ムームーさま
お書きになっていることはつまり「今のままでいることもできる」しかし「自分が今のままではいたくないと思っているから、批判をおそれずに自分を出していく」ということですよね!自分がそうしたいと思ったら、あとは進むだけですよね。ムームーさんの場合は、あと少し「キャリアの年数」が増えていけば批判されなくなっていくように思いますよ。
リカコさん、こんにちは。
私も以前は人から嫌われたり、変に思われるのが嫌で周りの様子を見ながら生きていました。
しかしそんな生き方は自分を大切にしていないようで、今は嫌われても批判されてもいいと決めて自分の心のままに生きるようしています。
出来ることは出来ると主張することで任される仕事は増えたし、逆に嫌なものは嫌だという自分の気持ちに気付くことで疎遠になる関係もありました。
そうやって少し今までと生き方を変えることで気付きの質が以前と変わってきたり、より深く自分を大切にするとは、、、ということを考えられるようになった気がします。
しかし、そうとわかっていても自分をダメだと思ったり、変わろうとする前の私と同じ選択をしてしまう場面もまだまだあって日々勉強です(^^)最近の一連の記事はとても勉強になります。ありがとうございます。
レモンさま
主張することで任される仕事が増えていくというのはいいですね!それはとっても理想的なことだと思います。そういう段階に進んでいけたのは、それ以前の「様子見をしながら」生きてきた経験が土台となって役立っている部分もあると思うのです。ですからその時期はその時期で、レモンさんに必要な経験を積み重ねる学びだったのだと思います。そして土台ができたところで、そこからは、自分らしさを上乗せしていく段階に来たということなのでしょう。
生き方を変えると、意識の向け方が変わるし、受けとめ方も変わるので、気づきの質が違ってきますよね!
また、ときどき「変わる以前と同じパターンの選択をしてしまいそうになる」のもよくわかります(^-^;。私もときどき、わかっていながらネガティブな考え方を「選んでしまう」自分に気づきます笑。こういう繰り返しで少しずつ、比率を変えていくマイペースな進み方がちょうどいいのでしょうね!
こんにちは。
昔からなるべく目立たないように、嫌われないようにしたいという気持ちが強かったと思います。
でもそう思って行動しても、変に目立ったりで、得るものは少なかった感じがします。
今の部署に移動してからも、あまり自分を出さないようにしてきましたが、仕事でやりたいことがあり、一歩踏み出しています。
やろうとしていることか公になることによって、批判されたり、意地悪をされたりするのではないか、という不安もあります。
でもそれ以上にやりたい気持ちが強いので、結果がどうあれ、挑戦したいと思います。
ハイジさま
嫌われなようにという考え方は「マイナスにならないように」する考え方なので、うまくいったとしても到達するのは「ゼロの位置まで」となることが多く、なかなかさらに先の「プラス」が積みあがっていかないのですよね。お仕事でやりたいことがあるなら、ぜひ頑張ってみてください!
自分を出していけばある程度の負荷はありうるのですが、しかし、批判されたり邪魔されたりしないほうが望ましいことはそのとおりなので、力の出し方をうまく工夫しながら、柔軟さをもって進んでいくのがいいでしょう(^_^)/
リカコさま
返信ありがとうございます。
仕事は直属の上司は応援してくれているので頑張って挑戦したいと思います。
自分と同じような立場の同僚がどう思うかというのがちょっと気になります。
力の出し方をうまく工夫するとはどういった感じでしょうか?
やりたいことはやりつつ、ある程度周りに配慮もしていく必要があるということでしょうか?
>力の出し方をうまく工夫するとはどういった感じでしょうか?
自分を出していくと、批判されることも「可能性としてはありうる」ので、自分の力をこれまで以上に出していこうとすれば、そういう可能性を引き受けていく覚悟が必要になります。ということを書いているのがこの記事の主旨です。けれど、自分の力を発揮しつつも、批判もされず、対立もされない平和な状態でいられるならもちろんそれに越したことはないわけで、わざわざ嫌われる必要はないので、そのあたりを考えていくほうが、力を発揮しやすい環境が整うのでは、ということです(^_^)/
リカコさま
ありがとうございます(^^)
確かに自分の力を発揮しつつ、批判されない環境でいられるに越したことはないですね。
なかなかそれが難しく感じますが、上手くやっていきたいと思います。
いつも為になる内容の記事で、更新楽しみにしています。
力の配分をいろいろ工夫しながら、ちょうどいい距離感を見つけてみてください。
こちらこそいつもご覧いただいているとのこと、ありがとうございます!
リカコさんこんにちは。
いつもお世話になっております。
私は、お陰様で「覚悟決めた派」です☆
私も、今までは、周りの評価など気にして、変わろうとしなかったり、自分を隠して長い間生き過ぎて本音も解らなくなっていました。
でも、リカコさんに何度かセッションして頂く中で、どんどん自分の本音に気付き、自分らしく生きる覚悟をしたとたんに「そぉ言えば、そんな事悩んでいたっけなぁ…」程度になりました。
今思うと、ネガティブな枠の中にいるときの思い込み?だったのかなぁ~
リカコさんがおっしゃるように、意地悪な人は、世の中に間違いなく存在してしまうけど、今の私なら、上手く交わせる気がします(笑)
私は、リカコさんに、枷をはずしてもらったのでは無く、私が枷を自分で外せるように導いていただきました。自分でできたから経験になり、こんなに強くなれました\(^-^)/
コメントを読んで下さる誰かの心に少しでも届いたら幸いです☆
空さま
周りの評価から自分を計るのは、自分を知るよい方法のひとつですが、そこがすべての判断基準になると、本来の自分らしさがよくわからなくなってしまうことがありますよね。他人のためを優先している期間が長いと、その姿勢が自分らしさの「すべて」のように思えてしまうこともありますし(自分らしさの「一部」であることは確かですが、それが「全部ではない」ですよね)。
人生の中で、他人を優先するのがメインになってしまう時期もあるものですが、人生のすべてをその姿勢で過ごしていかなくてもいいはずで、いずれは「自分らしさを出していける時期」「自分らしさを出すほうがむしろバランスがとられてうまくいく時期」がやってくるものです。天さんは、ちょうどその時期に差し掛かっているのだと思うので、うまくかわしながら、いろいろご活躍になっていかれてください!
※コメントを読まれる方に、わかりやすい解説が含まれたコメントも、どうもありがとうございます(^_^)/
顔と名前を出して自分を表現する機会があったのですが、
自分がやっていること、発言していることは、間違えているかもしれない。
常にどこかでそう思ってしまうところがあります。
相手の批判や反応を気にしない為にも
自信をつけることが大切だと思うのですが、なかなか思うようには自信がつきません。
ある程度受け入れて割り切りるということでしょうか。
ぺこちゃん様
>顔と名前を出して自分を表現する機会があったのですが、
この件は「自分の意思で行動している」「やりたいと思って行動している事柄」という解釈でよろしいでしょうか。「役割がまわってきたので仕方なくやらされている」ことでしたら、また解釈がかわってきてしまうので。
自分の意思で行動していることだと仮定すれば、それなのに「間違えているかもしれないと常に思ってしまう」という心の動きを、まずは見つめていく必要があると思います。何が原因でそう思うのか、自分が勝手にそう思うのか、誰かに(過去に)指摘でもされたのか等、なぜそのような認識になってしまうかという自分の心の動きに、解決すべき「何か」があるように思います。
相手の批判や反応というのは、そこからさらに先のことなので、そちらはとりあえず保留として、「ご自分の心の批判や反応」にフォーカスしてみるといいと思います(^_^)/
空さんへのコメントで「自分らしさを出すほうがむしろバランスがとられてうまくいく」という言葉にじんわり温かいものを感じました。丁度、単発的な割り切りではモヤモヤ感が抜けないタイミングだったのです。
85歳の姑と60手前の嫁である私は、私からの視点では「嫁を下げる姑と、長幼の序を崩さない嫁」という関係です。
人間関係に波風を立てるという意図ではなく、自分らしい会話や行動を控えすぎないことは、自分と周囲に良い動きをつくるのだと気付かせて頂きました。姑との関係に限らず、自分の人生、自分で納得のいくようにしてあげないといけませんね。
嫁様
この記事は「不特定多数に対して(特に相手を決めずに)自分を出していく」場合のことを書いているので、相手がいませんから、自分の姿勢についての自分の(内的な)覚悟がいるという主旨から内容をまとめています。特定の相手(姑さんなど)がある場合は、「相手と自分との間に生じる関係」が関連してくるので、自分の態度によって、相手の態度が決まってくる(逆もある)という関係になりますよね。自分がよかれとおもって控えめにしすぎると、相手のわがままを引きだしてしまう、というケースもありそうですよね(^-^;
リカコさん
いつもブログで生き方や物事の捉え方を学んでいます。
この記事を拝見して、何となく自分も批判をおそれて自分もそうかなと思いつつ、コメントをしてませんでした。
最近、リカコさんの記事の影響で自ずと取り組んでいたことに気づきました。
私はモダンダンスをやっていて、こないだ発表会に参加したのですが、以前は練習の時、「上手になって、人より上手く見えてはいけない。少し劣らなければいけない。」
と思い取り組みました。
(実際は完璧を目指しても劣ることが多いのですが;)
具体的には、ピタッと止まらなければいけない場面で、ちょっとぐらつくぐらいが自分に合う、と思ってしまっていたのです。
でも最近は、ピタッと止まるのが、自分に必要な役割で、それが皆のためにもなると気づき、すこし楽になりました。
同時に、ぐらぐらしなくなりました!
ぐらつく自分に自分自身が期待していた?状況にびっくりです。
理由の一つに、父からの教えがあったかもしれません。
「一番になってはいけない、目立ってはいけない、金持ちになってはいけない」などです。
それが全てではないにしても、それらがつつましく理想的な生き方とした影響があったように思います。
今回はダンスでしたが、仕事においてもみつけられるかもしれません。
ありがとうございます!
まー様
ちょっと低めの立ち位置にいるほうが安心という気持ちってありますよね。前面に立たなくてすむという思いだったり、それが謙虚さという美徳だという価値観があったり。
時と場合によっては、そうして自分を下げることで、相手を立てていく必要がでることも(人間関係上の付き合いとして)あるけれど、
そういう考え方が習慣になってしまうと、不必要な場面でも自分を下げてしまって(それが自然で正しいこのように思えてしまって)、
ものごとがうまくいかない状況をわざわざ集めてしまうこともあるので、
不必要な思考パターンは「気づいて手放す」ことが大事ですね!