スピリチュアリズムの法則のひとつに、同じ要素をもつもの同士が引きあうという、「波長の法則」と呼ばれるものがあります。
このことをふまえて解釈すると、たとえば、どこから見ても相手が悪くて、自分のせいではないと思えるようなことでも、広い意味でいえば、自分にも幾らかの原因があったり、自分にも相手のそれと同じ要素があることになるという、少々、耳の痛い法則です。
この法則に照らし合わせるならば、一方的に相手が悪い、自分はまったく悪くないという、100%の被害者は、存在しないこととなります。自分の中にも、何かしらの要因があることになります。
同様に、自分が100%の加害者になることもなく、相手側にも、そういう構図になってしまう要因は存在することになります。
しかしこれは、スピリチュアルな領域での関係性のことですから、現実的かつ物理的な責任の所在を問うとなれば、それはまた別の話となります。そこはわけてとらえるようにしてください。
たとえば、自分か相手のどちらかが、一般のルールに合わない行動をしたとか、相手に不利益を与えたとなったときに、上記のことを持ち出しても、それは通るはずがないこと。
現実としての事柄への認識や対処は、当然、そういうこととは別に、現実の次元での解釈をあてはめていくことが求められるでしょうし、自分もそのような姿勢で対処すべきではないでしょうか。
自分を省みるために、自分の内的な理解として、こうした法則を指針として活用するのはよいとしても、他人が関わる現実的な出来事の解決方法にまで、あてはめてしまったり、それで相手を説得しようとしてしまえば、解釈がこじれてしまいます。
現実と、スピリチュアルは、まったくの別個のものではありませんが、しかし、まったくのイコールでもありません。
外的な事柄についての解決方法と、内的な価値観の中での解釈とを、同一にしてしまわないことですね。内的な解釈は、他の皆との共通認識ではないので、自分の内側では重ねることができても、外側では、そのようにはなっていかないものという理解をして、バランスを取っていくことが大事だと思います。
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