憑依している霊には、「その自覚はない」ことが多いです。

スピリチュアリズムでは「人は肉体をもっている霊的存在である」ととらえます。私たち人間は、実は霊でもあるわけですね、そうした実感はなかなかもてないものですが。

肉体という器に入っているとはいえ、私たちは霊であるので、霊的な作用や関わりを受けながらこの人生という経験を重ねていきます。

たとえば守護霊という導き役の存在がいて、人生の学びをサポートしていることも、霊的な関わりの一形態です。

霊的な関わりには高いレベルのものから低いレベルのものもあり、その中には……あまりありがたくない「憑依」という関わりもあります。

「霊に憑依される」という現象があることは、スピリチュアルに関心がある方には、よく知られていることですが、「憑依している霊の側には、その自覚がないことが多い」ことは、あまり知られていないのではないでしょうか。今回はそのしくみを説明してみます。

通常、霊であることの実感をもっていないもの。

私たち人間は「肉体を持っている霊」という存在です。けれど「自分は霊なんだなー」という体感や実感はないのが普通ですよね。そういうものだと頭でわかっていること、実感があることは別ですから。

この世という場所で、当事者として「自分は霊であるという感覚」はわかりにくいものなのです。実感はわきにくいようにできています。

人に憑依している霊のほうも、実はその感覚は同じで「自分が、霊であること」、つまり既に肉体をもっていないという実感は、もっていないケースがほとんどなのです。

人間側に「自分は憑依されている」という実感は、あまりわかないもの。

霊に憑依される、などと言葉で目にすると、非日常的でかつとても恐ろしいもののように思えてしまいますが、実は小さい憑依現象なら「誰にでも、日常的に起こっている普通の出来事」です。

程度の小さいものなら、という意味ですけれど。そんなに珍しい現象ではなく、普通についたり離れたりを繰り返しているものです。

ということをお伝えすると、「ええっ!そういうものなの?」と、驚かれる方も多いと思います。それはつまり、憑依されている実感を持つことができないことのあらわれです。憑依というのは「そういうもの」で、実感や体感はしにくいものなのです。

なぜなら、憑依という現象も、この世のスピリチュアルな原則のひとつである「同じものが引きあう波長の法則」によってなされるためです。

自分と同じ要素をもつものに対して、違和感がないことや、特に何も感じないとしても、それは普通のことですよね。

たとえば私のような、憑依という現象に慣れている人であれば笑、過去の経験との比較で、憑依が自分に起こっていることが、幾らかはわかることもあります。

しかし、憑依の全部を自覚することは、誰にとっても不可能です。

たとえ霊能者であっても、他人の憑依はともかくとして、自分への憑依はすべては自覚できません。同じ要素をもつ霊が引きあっていれば、違和感は小さいですし、慣れてくるほどなじんで自然になってしまうものだからです。

霊の側も「人に憑依している」実感は、あまりわかない。

一方、憑依している霊のほうはといえば、彼らの側も、人に憑依している自覚や実感はないことが多いようです。

先にも書いたとおりで、私たち人間が「自分は霊である」という実感がないのと同じように、彼らもまた「自分が霊であること、つまり、既に肉体を有してい無いこと」の実感がわきにくいのがこの世という場所です。

霊であることすら実感がないのですから、人に憑依している状態になっている自覚や実感は、なくても不思議ではありませんよね。

この世という場所は、「霊であるという実感をもちにくい」という特徴があるのです。

霊の側が、意図的に憑依を「しかけてくる」ことはまずない。

余談ですが。怖い霊たちが、人間に攻撃をするかのごとく、意図的に憑依をしかけてくる……などというストーリーは、小説にはよくありそうですが、現実の中には、そんなに多くはないですね。

そういうケースもゼロではないとしても、ごく普通に日常生活を過ごしている中で、そういう現象に遭遇することは、ほとんどないと言っていいでしょう。

憑依というのは、霊がしかけてくることで起こるのものではないのです。人と霊との間に、低いレベルでの共通要素が発生してしまったときに、同じ要素のものが引きあうという波長の法則によって、起こる現象だということです。それ以上でも、以下でもないということです。

自分の状態を上げていくことが、自分と霊のためになる。

これまで説明したような「しくみ」で起こることなので、憑依という現象も、憑依している霊のことも、必要以上に怖れたり悪くとらえたりすることなく、自分の状態をかえりみる機会にするのがいいでしょう。

そういう現象も起こりうるしくみが、この世にはあり、だからこそ気づいて成長できることもあるととらえて、自分の糧としていくのがいいですよね。

ある条件下で憑依という現象が起こるということは、憑依が起こる条件が整わなければ憑依は起こらないということでもあります。

低いレベルでの共通要素があるときに起こってしまう現象ですから、もしも、憑依現象が起こったとしても、自分が状態を上げていけば、自然と解消もされて離れていくものなのです。

ときには、人から離れた霊が、離れるだけでなく浄化していくケースもあります。

その人の気づきなどがとても大きかったり、状態が持ち上がる度合いが大きいときには、そのエネルギーが、憑依していた未浄化の霊にも、気づきを与えることがあるんですね。

憑依状態にあるときには、同じもので引きあっていた関係ですので、「似ている部分がある」ということですから、人の気づきが、憑依霊にも波及していくことも、ときにはあるということです。

コメント

  1. ゆくり より:

    憑依という単語は実際に使う機会がほとんどないですが、スピリチュアルに興味がある方は多少なりとも気になると思います。

    ブログに書かれてある通りに、軽い小さな憑依は日常によくある事なのですね。
    自分でもきっとそういった体験をしているけど、気づく事なく過ごしているんだなと思います。

    気づく事が難しいのなら、やはり常日頃から規則正しい生活でコンディションを保つ努力が大切だと改めて感じます。

    憑依に関してだけでなく、健康を保つにも有効ですので一石二鳥ですね。

    そして、霊自身が憑依している事に気づいてないとは!本当にびっくりです。

    (霊視点だと)たまたまそこに自分好みの椅子があって腰掛けて休憩して、なんだか座り心地がいまひとつになって立ち去っていった…

    そんなイメージなのでしょうか笑
    マイナスなイメージの憑依において浄化を促して気づきを与える事例はとても興味深いです。

    マイナスと捉える事すら原因を他の何かのせいにしていますが、自分自身の波長から引き寄せている事を忘れては駄目ですね。

    • リカコリカコ より:

      ゆくり様
      自分で気づかない程度のもので、周囲にも何かいつもと違う感じなどが伝わらない程度のものは、普通によくあることなので「気にしないまま」で問題ないと思われます。そこまで気にしてしまうと、そのほかのすべきことに意識がいかなくなるので、よい状態でいられればそう極端な影響をうけることにもなりませんので。

      霊が憑依しているときの意識状態のたとえは、そういう感じかもしれませんね笑。しばらく座っていたはずが、ふと気づいたらいつのまにか座っていなかった、とか。こう考えてみると、憑依というものにも必要以上にこわがることなくいられますよね!