相手の、「困っているところ」「至らないところ」に共感してあげるのが上手な人がいます。優しい人や、細かいところにまで気がつく感性を持っているからこそ、そうした配慮が可能となります。
常に、周囲の人に対して、「何か困っていることはないかな?」「助けを必要としていないかな?」という目線でみているので、そういうことが起こったり、そういう人がいたりするとすぐに気づいて助けの手をさしのべることができます。
実際に助けてもらったことがある方からは、信頼されて好かれますし、第三者の目からみても好印象になることが多いです。
ところが、こういうタイプの方は、「困っていない人との人間関係」を、どのようにつくったらいいのかが分からない場合があります。
「助ける役割」が、自分を活かせるという思いがある。
「困っているところに共感して、関係をつくっていく」のが、相手から信頼を獲得するための「得意パターン」ですから、困っていない人が相手の場合、共感ポイントが見つからずに間が持たなくなります。
そうすると、何とか話題を見つけようとして、「相手の欠点探し」「悪いところ探し」をしてしまい、「あなたはこの点を直すともっとよくなるから、こうしたほうがいい」というアドバイス的な接し方になり、本人的にまったく悪意がなくても・・・結果として、お節介になります。
おそらくは、相手の方も、発言には他意はなく、相手のために何とか役立とうとしていることは、雰囲気その他で伝わるだろうとは思います。
ですから、まるっきり悪意にとられることはないとは思いますが、しかし、実際にはそんなに困ってもいなく、求めてもいないのに、そうしたコミュニケーションの取られ方というのは、
相手の身になってみれば、あんまり気分がよくないものではないでしょうか。
しかし、その発言をしている本人は「多くの人に評価されている、得意パターンの親切」を、相手のためにしている認識ですから、そのことがわかりません。
拒否されることがもしもあれば、せっかく自分が「正しいこと」を言っているのに、聞き入れない相手が未熟なのだ、ととらえて自分を正当化してしまうこともあります。
「否定的な見方をしている自分」に気づく。
困っている人を助けて上げる優しさは大切なことだし、そういう細かいところを察知できる感性はとても素晴らしいことです。
けれども、そういう共感の仕方「しか」できないとなったら、やはりバランスがいいとは言えないわけで、自分が「否定的な見方をしているから否定的な部分に気づく」のだということを理解しなければなりません。
適度な範囲ではそれは素晴らしい長所なのだけれども、そちらばかりに偏ったら「否定で繋がる関係しか作られない」んですよね。そして、 否定的な人ばかり集まって、そして過剰に頼りにされて苦しくなっていきます。
最初のうちは、頼りにされたり、親切にしてあげることの満足感があるかもしれないけれど、いつもそうなったら疲れるでしょうし、嫌にもなるでしょう。
「自分はいつも、人のために親切にして頑張っているのに報われない」というご相談をときどきいただくけれども、多くは上記のような、否定で繋がる関係になっていて、そこから肯定的なものがうまれないことが原因です。
優しさや親切心は素晴らしいことであり、共感力が高いことも優れている点のひとつです。しかしその感性をつかってフォーカスするところが、否定的なところばかりになると、不調和が作られてしまいます。
助け方に、バリエーションを持てばいい。
その感性を肯定的にいかしていくためには、これまで自分が認められてきた「得意パターン」を見直す必要があるのですが、それが、とても苦しく抵抗感がでてきてしまいます。当然ですよね、それによって今まで認められてきたことが多々あるのですから。
ですが、それにこだわっていたら、そのままが続きます。
相手の苦手を助けてあげるのがダメということではなくて、「そのパターンだけ」になったら偏る、ということです。
肯定的なところにも共感できるように、自分の肯定的なところを育てていくように、バランスを考えていくことです。
そうすると、別の方向からの助け方、役立ち方も無数にあると気づきます。
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