誤解されることが多い人は、その理由として、会話をする際に「言葉がたりていない」のかもしれません。
特定の相手にだけ伝わらないなら別ですが、多数から誤解されるなら、この点の可能性を考えてみたほうがいいでしょう。
会話の際に、自分の発言が、伝えたい内容に見合っただけの、十分な言葉の量になっていなければ、そこに誤解の余地が発生してしまいます。
説明のための言葉が十分でないと、その隙間をうめるように、相手の「憶測」が入ってきます。それが自分の言いたいことと一致していればよいのですが、違う解釈での憶測がなされてしまうと「誤解」となります。
憶測という言葉は、「自分勝手に推しはかること、いいかげんに推しはかること」で、類語は「あてずっぽう」です。
このように言葉の意味を眺めると、そうした勝手な解釈をしている相手が悪いように思えてしまいますが、しかし、相手が憶測で解釈しなければならない理由は、自分が、十分な言葉の量で説明をしていないから、という部分もあるので、相手だけが悪いとは言えません。
もちろん、それぞれ違う個性をもった別の人間である以上は、どれほど言葉を尽くしても理解の度合いを完全に揃えることは不可能ですが、ある特定の話題においての、一定レベルの共通認識をもつくらいは、工夫すれば可能なことですよね。
十分な言葉の量で主張や説明をしていれば、相手の憶測が入る余地は少なくなりますから、誤解される可能性も比例して少なくなるでしょう。
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