行くべき人のところへ、いくようになっている物がある。

すべての物にも、固有のエネルギーがあり、それぞれの波長があります。

同じ要素をもつもの同士が引きあうという、波長の法則がありますから、エネルギーが引きあえば、物を手にするご縁がつくられることになり、エネルギーが引きあわなければ、その逆となります。

自分のところにやってくる物も、自分のところから別のどこかで動いていくものも、そうなるべくしてなっているのでしょう。

通常、私たちの感覚でha、そうした意味や繋がりの全容をとらえることはできず、深く考えることもほとんどないまま、流れていくものとなりますけれどね。

それでいいのだと思います。

わかるほうがいいことは、わかるようになっているし、

わからなくてもいいことは、あえて意識とまることなく、

感性のセンサーが、ふりわけをしているのでしょうから。

私の経験ですが、先月、ある施設内に数時間滞在している間に、入口においてあった日傘がなくなりました。

多数の人が出入りしますが、誰でも入れる場所ではいため、傘立ての鍵を利用せずに、そのままドアの内側に置いていたところ、なくなっていました。

既に日傘を使う時間帯ではなく、雨が降りそうな湿気のある天気だったので、雨傘代わりに誰かがもっていってしまったのでしょう。

「えーっ」と、ちょっとだけ思ったけれど、しかし、置いておく自分にも責任があるだろうし、そして「必要な人のところへ行ったのだな」と自然に思えたので、ほんの数分で気持ちは切り替わりました。

よくとらえるなら、誰でも入れるわけではない場所で、人目につくかもしれないのに、わざわざ取っていくものだろう?かと考えてみれば、

「その人が、普段使っている傘と似ていたため、動作の流れでつい間違えてもっていってしまった」のかもしれませんし、

そうでないとしても、何かのエネルギー的な理由があって「必要だから、そうなった」ということで、これでいいと思えました。

あの傘は、この時点でのふさわしいところへ行ったのだ、と。

後から考えてみれば、昨年、その日傘をつかっている時に何度か蜂におわれたことがあります。蜂は、黒いものに向かっていく習性があるそうですね。買い換えたほうがいいかなと思いながらも、そのままになっていました。

だから、これは良い機会でもあったのです。

新しい日傘は、別の色になりました。

とても気に入った、よい買い物ができました。エネルギーが「合う」ものを選べたと思います。

この傘が、今の私のところへくることになっていたのだなあと、そう思えます。

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