大きな力を怖れずに、適切にあらわしていく。

ものごとを解釈する力がとても大きく備わっているのに、自分がわかることを言い、できることを行動してしまうと、他の人とペースがあわずに浮いてしまうことへの怖れから、

わかっていることを言わず、できることも行動せず、控えめに控えめにと過ごしてしまう人がいます。

確かに、正しい意見とはときに鋭さをもちます。わかることを先んじて行動してしまうと、他の人の行動の遅さが目立つことにもなりかねず、

解釈をする力が大きい人は「そういうところまでもわかってしまう」ため、自分の力を控えめにしておくという方法を選びがちです。

春の妖精

ですが、あまりに自分らしさを内側へと閉じ込めてしまっては、(自分らしさを出さず、自分らしくない言動を表にあらわしますから)自分と気があわない人ばかりが周囲に集まってくるか、無難な人間関係ばかりになり、

人間関係から刺激を得られず、人間関係を通して自分をあらわすこともしないとなれば、人生がとっても暇になってしまいます。

解釈の力が大きい人は、状況を判断しながら度合いを使い分けることだって(その力をいかせば)可能でしょうから、自分らしさを閉じ込めず、外へ向けて力をうまくあらわす工夫をしていくのがよいと思います。

外へ向けて力をあらわすと「多少」は摩擦も起こるけれど、それは、思っているほどの大きなものではないはずです。

そして、力をあらわすことで得られる、新たな刺激や学びは、思っている以上の大きなものとなり、人生が創造的で豊かなものとなっていくことを助けるでしょう。

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