もう、地震から一週間以上がたったことになります。早いなあ、そんなに経ったのか、というのが実感です。
これは、丸一日以上も停電していたという非日常の経験が、時間が過ぎる感覚を曖昧にしているのかなあと思います。
あんなに長時間、朝から夜中まで、ラジオを聞き続ける機会もまずないので、普段ならしないレアな経験の数々が、時間の感覚を乱しているのかもしれません。
丸一日以上ラジオを聞き続けてみて、普段、ラジオを聞くことはあまりない私ですが、「聞きやすくて、いいものだ」と思いました。
テレビは、出演者がいろいろで、タレントさんも、一般人も、文化人もいるので、滑舌のよい人ばかりではないし、言葉の使い方も人によりバラバラですが、
ラジオは、プロのアナウンサーが明瞭な発音で、正しい言葉づかいで話してくれるので、さほど集中しなくても耳にすっと入ってきて、とっても聞きやすく、耳が「楽」でしたね。
災害時で、話題の範囲が一定であることも聞きやすさに繋がっていると思うので、普段なら、またちょっと雰囲気は違うのかもしれませんが。
これは、私の周囲で、同じようなことを言っている人が結構いて、こういうことにも気づかされるねえ、などと話したりしています。
今は、北海道全体が節電モードになっていて、街の中がいつもより静かだったり、お店が早く閉まったりしていて、スーパーやコンビニの品揃えも、普段の半分くらいですけれど、
「それにあわせて、生活はできている」「なければないで、なんとかなる」という印象ですね。
お店の品揃えとしては、やはり工場での生産が(節電の関係で)追いつかなかったり、停電したところで在庫ゼロからのスタートになったことなどから、
夕方になると、日配品の棚はほぼ完売状態だったりしますが、
いずれ解消される一時的なことなのだから、なんとでもなります。
私としては、いつでも好きなだけ買えるけれど、余って期限がきれたら廃棄されるという、普段の状態よりも、
今の、売り切れたらおわりという、このほうが、なんだか好ましい気持ちになるくらいです。
店内の照明も絞られていて、店内放送も最小限で静かであることが、むしろ落ち着きますし。
ただ、閉店の時間が普段よりかなり早いので、会社員の人達は買い物が大変かもなあと、そこは思います。
どのような認識や印象になるかは、家族構成でも違うでしょうし、年齢でも違うでしょうね。たとえば、まだ10代とか、20代になりたてくらいの若い人は、この状況に不満だったり、不便だと思ったりするかもしれません。それはそれでいいと思います。若いときって、そういう時期ですから。
でも、大人の年代になれば、このシンプルさがちょうど良い、という感覚になる人も、少なくないように思います。
一時的なことで、また普段の状態にほどなく戻っていく(戻ってしまう)でしょうし、これは「個人的な感覚」の話なので、企業側の都合とか、売上とか、社会的ないろいろなことをふまえれば、また別のものがあるでしょうけれどね。
そんなこんなで、あっという間の一週間でした。
慣れていて当たり前のように思っている、ありがたいこと、恵まれていることに気づかされ、そして、シンプルであることの心地良さも経験してみて、
気づき、学んだと思います。
ただ、札幌は被害が大きくないから言えることで、震源に近いところはもう大変でしょうから、
そう考えると、ふさわしい言葉が見つからないのですが、、、これ以上の被害がかさならないようにと、今はそのことを願っています。
コメント
こんばんは。静かなのは好きですが、いつもの明るさに慣れているせいか、節電で街のビルやお店の中が暗くて寂しいというより、不安な気持ちになる時もあります。笑
もともと暗い所が苦手なのかもしれません。笑
私は、外のお店の看板が(コンビニなどが節電しているようなので)もうちょっと
前のように明るいほうが、歩きやすいと思いました。
それだけ、気づかないところで、電気に助けられているなあと、日々いろいろなことに気づきます。