人が生まれてくるときには、たましいの大元である「グループソウル」とよばれる領域から、学びや課題をたずさえて、こちらの世界へとやってきます。
グループソウルには、それまでの生まれ変わりの経験値(前世)が蓄積されているので、その中には男性として過ごした経験値もあれば、女性として過ごした経験値もあります。
ですが、たましいそのものに、性別はありません。
そうした区分けは、この世で人として過ごす際の、一時的な特徴であり、
たましいそのものは、そうした特徴に限定されない、すべてを含んだエネルギーです。
性別というのは、この世で過ごしている間の、肉体という物質との関連からつくられる特徴です。
ですから、この世の人生をおえて、あの世のグループソウルに、たましいとして戻っていけば、そこにあるエネルギーには区分けはありません。
この世に生まれてくる際に、肉体という器を伴うことで、ある部分をあらわさない、この部分が多くあらわれる、というような、制限や条件がつくようなものとイメージするとわかりやすいでしょう。
この世での人生は、時間にも、肉体という物質にも制限されたものになります。
たましいの全体のうち、ほんの一部分だけしか、一度の人生の中ではあらわすことはできないのですね。
だからこそ、何度も生まれ変わるというしくみになっているのでしょう。
数多くの生まれかわりの中で、男性になったり、女性になったり、ときには中性的な性質を備えた人生になったり、
いろいろなパターンの経験を、重ねていく中で、
たましいのある部分を、その条件での経験を通して、磨き、鍛え、活かし、少しずつ成長していくのでしょうね。
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