未来のことは、わからないからこそ、楽しさがある。

未来がどうなるかわかっていれば、効果的な動きをとることができるし、備えることができて安心なのになあと、誰もが一度は考えるものではないでしょうか。

ちょっとくらい、守護霊が教えてくれたらいいのになあ、とか笑。

確かに、前もってわかることで役立つ面もあるかもしれませんが、しかし「わからないからこその期待感や楽しさ」もあります。

わからないようになっているこの状態が、私たちに必要な学びなのでしょう。

もしも、未来がどうなるか前もってわかるなら、よりよい結果にしていく工夫もとりやすく、気持ち的にも安心もできます。

けれど、わかりきていることには感情は大きくうごきませんから、予想外の感動、達成感、満足感などを味わうこともできません。

不安ばかりでは辛くなります。

けれど、安心だけでは、刺激がなく感動も少なくなります。

安定して、安心できることを望んでいる人でも、ときどきは、予想外の楽しさや嬉しさを味わいたいと思うものではないでしょうか。

ならばやはり、わからないようになっていることが「必要」で「望ましい」のです。そうしたいろいろな経験と感動を味わうことも、私たちを成長させてくれる機会ですからね。

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