人との関わりが、オーラのようすにあらわれる。

オーラとは、その人自身のようすをあらわすエネルギーであると同時に、エネルギーを放ったり、受けとったりする「送受信器」でもあります。

オーラを受信器としてとらえた場合に、オーラへのあらわれから、その人と関連する人間関係の広さや深さが、いくらか推察できます。

花の精

しくみとしては、オーラの中に、外から集まってきているエネルギーがどのくらいあるか、どのような質のものであるかをとらえる方法です。

人との交流は、オーラ同士の交流でもあります。人と関わると、本人のオーラに、本人以外のオーラが(短時間ですが)とどまります。そのあらわれから「人間関係」や「コミュニケーション」のようすが推察できるのです。

人と関わる機会が多いほど、本人以外のオーラが一時的にとどまることになります。それが近しい関係であれば、お互いの「思い」「感情」が、エネルギーがからまるフックのように作用して、度合いが深くなります。

一方、機会が多くても、思いがからむことが少ない形態であれば(業務上の形式的なやりとり等)、あらわれは浅くなります。

ここから、親しさがわかったりもします。

さらに、それらの「質」をとらえていくと、たとえば「期待感をともなう、好意的な思い」がいくつもあれば、「この人は、いつでも他人から期待されて、頼りにされることが多いだろうな。大変そうだなー」などと笑、推察がつけられるということです。

初対面の人に、まったく根拠なく「人間関係が広そうだな」とか「社交的な一面があるのだろうな」などと、ふとわかる経験をしたことがないでしょうか。そういうことも、おそらくは、上記のようなあらわれを、把握しているのだと思います。

コメント

  1. こころ より:

    なるほど、人の雰囲気とは、このようにして、伝わるものなのですね。
    やく分かりました。ありがとうございます!

    • リカコ リカコ より:

      こころ様

      その人の「人間関係やコミュニケーション」について伝わるものがあるとすれば、
      オーラにあらわれる本人以外のエネルギーの度合いから把握がなされているケースは多いと思います。

      人間関係以外の事柄は、本人のオーラの動きだったり、質だったりを、
      サイキック的にとらえていることが多いかなと思います。