それぞれの、尊く美しい人生がある。

人生とは、長い長い時間を掛けてつくりあげる長編小説のようなもので、自分とは、ストーリーを体現する主人公であり、次の展開を考える作家でもあり、同時に、それらを味わい楽しむ読者でもあります。

いくつもの季節が変化していく時間の中で、さまざまな人間模様が織り成され、喜怒哀楽が交わされ、何かが作りあげられ、それらは時間とともに流れ去っていく、

そうした瞬間瞬間の蓄積が、人生です。

幻想的な光がさす雲のようす

この世には時間というしくみがあるので、

人生の頁は、次々とめくられていき、進んでいくようになります。

あまりに速い時間の流れに翻弄されて、自分の人生の主人公という意識になる余裕がないことも多々あるけれど、

すべてが深いところに刻まれていき、未来の展開に繋がる材料となり、それらを自分が(主人公として)体現しながら、(読者の目線で)さまざまなことに気づいて学んでいける、この人生が与えられていることは、とても素晴らしいことですよね。

このように改めて考えてみれば、自分の人生はもちろんのこと、この世のすべての人の人生は尊く美しいものであり、それぞれの人生観、世界観は、まもられるべきものなのだなあと、そのような思いを深くします。

コメント

  1. ゆか より:

    リカコさん、こんにちは。

    最近、仕事の関係で出会った同い年の人は、自分には無い、たくさんのもの(頭の良さとか、コミュニケーション能力の高さ)を持っているように見えました。
    歳相応に出世もして、家庭も作って、という順調な人生を歩いているように見えるその人を見ているうちに、
    自分の人生って、何してたんだろうな、って虚しくなったりしていました。

    でも、きちんと出世して、きちんと家庭を築いて、順調な人生を歩いているように見える人(本当は、「何かが欠けている」感を持っているのかも知れないけど)と、
    社歴だけは長いけど大した出世もしないで、結婚もしないで、空虚さを抱えながら生きている人(私)って、
    どちらも十分に物語の主人公になりえるんだよなー、とリカコさんの記事で改めて気づかせていただきました^^。

    • リカコ リカコ より:

      ゆか様

      人の数だけ「小説のメイン題材」に違いがあり、
      たとえば「若草物語の50ページまで」と「源氏物語の50ページまで」は、内容も、主人公が置かれている様子もまったく違うでしょうから、それぞれのよいところを、人生という長い時間を掛けてあらわしていくと、それぞれの素晴らしく壮大な作品が作られていくということだと思います(^o^)。

  2. 絹枝 より:

    死にたい位、悩んでます。
    生きてる意味無し

    • リカコ リカコ より:

      絹枝様
      かかれているお名前が、フルネームかな?と思ったので、念のため下の名前だけに変更させていただきました。

      長い人生の中では、そういう気持ちになることもあると思います。
      それでも、きっと、悩む経験、迷う経験が、いつか未来で役立つこともあると思います。
      私自身は、過去を思い返して、そう思います。
      過去の経験のすべてを、よかったとまではなかなか思えないけれど(^_^;)、それでも「学びとして役立つものだった」とか「意味をもっていた経験だった」というふうには、置き換えていくことが少しずつできるようになりました。

      人生という時間は長いですから、これからの絹枝様の未来に、明るい光がさしていく時期がくることをお祈りしています。