らせん階段のように進んでいく時期。

人生の前半は、どちらの方向を目指して進むかという目安がわかりやすいです。何歳になったら○○をして、学校にいって、卒業をして、成人したら××で・・・という、判断の基準となるものが存在しているからです。

左右をみれば友だちや同僚がいて、前後をみれば人生の先輩や後輩がいて、その人たちのようすから自分の立ち位置が確認できますし、動いていくときの目安にもなってくれますからね。

この時期は、自分の人生とは、どこまでも続く長い道に思えるものです。

夕暮れ空を見上げる女性

しかし、人生の前半の後半(30代~)くらいになると、前後にいる人たちも、左右にいる人たちも、昔のような決まった立ち位置ではなくなり、年上の人が部下になったり、若い人と同僚になったりします。

これまで周囲に明確にあった「並び順」「立ち位置の順」が、いきなりシャッフルされたようで、不安定感や焦りがでやすいのがこの時期です。

過去記事でも何度も同じことをかいているけれど、人生が一本道で進むのは若い時だけです。ある程度の年齢となれば、そこからは「らせん階段のように、同じところを周りながら進む」のです。

一本道のようにわかりやすい進み方にはなりません。必ずしも、前を行く人の動きが目安になるとも限りません。同じところをまわっているのだから、変化して進んできたという実感も得にくいです。

大人になるとは、そういう人生の進み方になるということです。

不安感がでてくるのも、その進み方に慣れるまでの一時期です。らせん階段の進み方がなじんでいけばまた、(進んでいないのではという)焦りもなくなり、まわりながら上昇していくコツもつかめるようになります。

コメント

  1. かぷちん より:

    私はアラフィフ世代ですが、この解釈は非常に腑に落ちます。
    まさに螺旋階段のようだと痛感中ですね。

    関西出身で、せっかちな私は螺旋階段のようなペースがもどかしく、イライラや不安が募る日々まっただ中なので、一日も早く、このシステムが受けいられると嬉しいと思います。(^-^;)

    • リカコ リカコ より:

      かぷちん様

      人生の学びは、そのときどきの年齢や時期によっても、
      内容がかわっていくものなので、
      新しいものに出会い続ける進み方にはならず、
      過去の経験をいかしながら進む、というふうに、
      変わっていくということなのだろうと思います。