自分への否定がなくなると、守りから攻めにモードが切り替わります。

自分への否定を手放していくと、その分だけ可能性が広がります。それまでは無関係と思っていた「外側のこと」が、可能性の内側に入ってくるようになるからです。

または、これまで「なかったことにしていた」ことを、そういう可能性も「あり得る」と認めていけるからでもあります。

葉の陰にいる妖精

そうすると、人生の中に「新しい目標」が出てきます。

否定があると守りに入りたくなり、それが最善のいいことだと思い込もうとするのですが、否定がなくなると攻めに転じて、チャンレンジをしていきたくなるのです。

以前は、これは無理だし不要と思っていたけれど、意外と向いているんじゃないかな、やってみたらできるんじゃないかな、という前向きな気持ちがでてきて、

実際に動いてみると「なぜ今までできないと思っていたのだろう?」「こんな普通のことだったのに!」と、昔の自分が不思議になるくらいに、行動している状態が自然で普通になってきます。

その繰り返しで、可能性がさらに広がっていきます。

結局可能性を広げるのは行動なんですよね。否定があると行動ができないし、しようとません。否定がなければ行動ができるので、その分だけ現実に反映していくということです。

実際に否定を手放すことが進んでいる人が、過去を振り返るとわかると思うのですが、自分を否定しているときは、コロナで行動できないことが「むしろ歓迎」「嬉しい」気持ちになることがあります。内に引っ込んでいられる理由ができて、否定が肯定される(正当化できる)感覚になるためです。

ところが否定を手放していくと認識が180度かわり、行動が制限されるのが残念すぎる、コロナがなければ、あれもこれも行動できていただろうに現状がもどかしい、という前向きさがでてきて、そんな自分が「以前の自分よりもずっと自分らしい」と感じていられるようになります。

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