自分を否定していると、選択の場面で失敗するので(自分に一番の選択肢をとれずに、ビミョウに低めの選択を自らしてしまうために)人生が混乱しやすくなります。
客観的に考えれば、否定を手放すことで(自分に一番いい選択ができるようにして)うまくいかない状況を変えるのがスムーズだとわかりますが、
自分に否定がある本人的にはそう考えられず「自分はそのままで、ものごとへの対処をうまくやるようにしよう」という方向に努力を重ねてしまいます。
しかし、選択で失敗しやすいので、
一番ではない選択肢をうまくやろうとしても、改善しようと頑張ったはずが……それ以前よりもっとカオスになってしまうことが起こり得ます。
この説明だけではイメージがつかみにくいので、「自分への否定がある状態で仕事を選択する場面」の具体例をあげてみます。
たとえば「給料を増やして、人生を豊かにしたい」と考えたとします。人生の質をあげようとする姿勢はいいことで、給料を増やそうとするのも自然なことです。
そのために転職を考えるとして、しかし自分に否定があると、自分なんてダメだと思っているので、自分の力を低く見積もって「それなり」「ほどほど」のところで探そうとしてしまいます。
ここで考えてみてほしいのですが、ほどほどのところで探した仕事で、人生を豊かにできるほどに給料が増えるというなら……、それは業務内容がとっても過酷ないわゆる「ブラック企業」かもしれません(>_<)。
否定がある状態での選択は、エネルギーの「こじれ」「ねじれ」が生じて、入口と出口がなんかかみあわなくてカオスになるのです。。。
そうなれば本人的にも、せっかくやる気になったのに「いい選択肢が見つからない」「自分はダメだからいつもこうなって前進できない」「やっぱり頑張ろうとしても自分には無理なんだ」と、ますます否定が強化されていくこともあります。
人生を豊かにしようという姿勢は素晴らしいけれど、自分を否定したまま勢いで突っ走ってしまうと負荷ばかり大きくなり、そこそこ自覚があり冷静であれば進む前に諦めがでてくるという、
どちらにしても未来の可能性が開けない方向に行ってしまいます。
⁎⁎⁎
一方、自分への否定を手放していけば、これまで自分的に「なし」だったものが「あり」になっていくので、候補に入れられる選択肢は増えていきます。
否定を手放すと人間関係も広がるので、人から情報が入ってくるようにもなります。たとえば「知人が○○で働いているんだけど、環境が××なんだって」と参考になる情報が雑談の中からもたらされるとか。
そういう状況から考えていくほうが、自分にあったものが選べそうですよね。
さらには、自分を認めていけるようになると「給料を増やしたい」という「そこだけ」の考え方からも抜け出して、「自分の力をいかした仕事をして、給料を増やしていきたい」という考え方になっていくケースは多いです。
過小評価がなくなり、自分らしさを出していきたくなると、
できること、選べることは格段に増えて可能性が広がっていくのです。
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