たましいが引き継いでいる、自分の「本質的要素」とは。

自分の本質とは、「自分自身の、根本的な性質や要素」のことです。

「自分が、自分自身であることに欠かせない、構成要素となっていること」が、本質です。

人は、たましいの存在であり、何度も生まれ変わって学びを続けているというのが、スピリチュアリズムにおける解釈です。

生まれ変わっても、たましいの性質は引き継いでいて、それぞれの人生での性別や身体的特徴は、そのときだけの一時的なものです。

今回の人生にあてはめると、「自分とは、今回の人生の学びのために、この身体という器に入っているたましいであり、たましいの性質こそが自分の本質」となります。

 

スピリチュアル的に、自分の本質とは。

たましいの観点からすると、この人生で、たとえば女性であることや、身長が155cmであることや、黒髪であることは、「生まれ変わるたびに変わりうる事柄」ですから、たましいの構成要素ではありません。

たとえば来世の人生では、今回とは違って、男性で、175cmで、金髪かもしれませんが、その人生を生きているたましいも「自分自身」であり、そこは共通しています。

つまり、一時的なものは本質ではなく、変わらないものが本質的ということなので、

もしも自分が、どんな環境と性別の人生を過ごしたとしても、「きっと、こうした要素は、変わらずに持ち続けていると思える部分」を考えてみれば、自分の本質的なこと、たましいの性質と関連しているところが、だいたいわかります。

フランス人に生まれても、アメリカ人に生まれても、時代の違う日本人に生まれていたとしても、「この点はきっと同じだろうな」という自分の性質が、本質です。

具体的には、生まれる国や時代によって、食べものの好みは変わるかもしれません。今は米が好きでも、西洋に生まれればパンが好きかもしれない。しかし、人付き合いに対して、わずらわしいと思うことや、自分ひとりの時間を求める気持ちや、人という存在に対しての認識などは、共通しているかもしれませんよね。

・・・というふうに、自分の得意や苦手、好き嫌い、関心のあることそうでないことなどを、「もしも、別の人生を生きる場合に・・・」と、当てはめて考えてみると、自分の本質的な、たましいの性質の一部分が推察できます(^_^)。

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