主観よりも客観が強い人は、他人を優先しすぎてしまう。

自分のことよりも、他人のことに一生懸命な動きをする人は、歓迎されることも、尊敬されることも多いものです。

他人を大事にすることは、なかなかできないことであり、自分の感情だけを優先していない冷静さをもった大人な人なんだな、という印象を抱きますよね。

しかし、こうした動きをする人の中には、「他人を大事におもって、他人に尽くしている」ということはあるとしても、「自分のことはわからないので、(わかりやすい)他人のことに尽くしてしまう」ケースも結構あります。

どちらにしても、他人への思いやりをもっている人の行動ですから、その点は素晴らしいのですが、他人のことと同じように、自分のことにも力を注ぐように「バランス」をとっていくことが望ましいです。

客観視に優れた、思いやりのある人に多い。

こうなりがちなのは、ものごとのとらえ方が、自分側からの「主観」よりも、第三者的な「客観」が強い、ものごとに冷静な目線を向けることが優れている人です。

主観と客観を比べたときに、大きな差がつき客観が勝っている人(つまり、主観がとても小さい人)で、思いやりがある人が、このパターンにはまり込んでしまいます。

客観というのは、距離がある関係のほうがわかりやすいですから、自分よりも他人のことがわかりやすいです。

しかし、自分には、客観視は働かせにくい。

他人のために、自分がどう動いたらいいかが、いとも簡単にわかります。もっとこうしたほうがうまくいく、ここを直すほうが効率がいいとわかるので、とても良いフォローやサポートができて感謝されます。

しかし、自分のことを自分が眺めるというのは、距離がないので客観を働かせにくいですね。自分のことには、同じレベルの質でわかることは難しく、気の利いた動きができにくいことも多いのです。

それでつい、わかりやすいほうから動いてしまうと、自分を差し置いて、相手のことに尽くしてしまうという行動パターンになってしまうということです。

しかし、いくら思いやりがある人であっても、他人のことにだけ力を使い、それが当然のように思われてしまうと不満もでるでしょうし、何より疲れます。

「こういうことはやめて、自分のことをしたい」と思っていても、客観性が働いて、相手のためには、もっとこうするほうがいいと「わかってしまう」と気になりますよね。

わかっているのに、やらなくていいのかという、罪悪感みたいな気持ちもでてきたりして、それでなかなか切り換えができません。

その上、無関係な第三者から「あの人は、好かれようとして、良い人アピールをしている」などと誤解されようものなら、ストレスでいっぱいになりますよね。

ですが、なかなか、やめられないのです。

他人のために動く「比率」を、下げること。

この状態の解決・改善の方法として。

こうしたケースに該当する人は、他人のために動くことをやめる、というだけでは、おそらくうまくいきません。

他人のために動くのは、思いやりからでもあるけれど、「他人のことがわかりやすい」からでもあるのです。自分のことがわかりにくく、他人のことがわかりやすいから、そうして動いてしまう状況なのですから、

「自分のことはわかりにくい」という事情がクリアされないことには、他人のために動くことだけをやめても、「自分のために、どう動くといいのかわからない」という問題は残ってしまいます。

経験から得た知恵を、自分にいかしていく。

この場合の有効な方法として、「他人のために動くことはそのまま続けていき、比率だけ下げる」ような動きを工夫してみてください。

そして、そこで経験したことから得た知識や知恵を、うまく応用して、自分の生活に取り入れる形で、「二次的に自分にいかす」ようにするといいのです。

客観性が強い人は、他人のことを眺めたり、他人のことに関わったりすることで、ものごとを把握していくセンスが高いので、そこをいかしていきます。

たとえば、Aさんのお店を手伝うことになり、お客さんとのやりとりに気配りをして疲れてしまっても、その経験から、「接客とは、こういうふうにやればいいんだ」と身につきますから、それを、自分の人間関係や仕事でいかすのです。

Aさんのお店のお客さんに、地方の名産品を発送する手伝いをしたとして、「こういう珍しい品があるんだ」とか、「ここに手配を頼むことができるんだな」とわかりますよね。その知識を覚えておけば、自分の知り合いにお礼をする機会があれば、気の利いた贈り物をすることができます。

情報収集のため、経験のために、この2つをうまく繋げて、両方のバランスをとっていくのが、このタイプの人には「楽なやり方」になると思います。

やりやすい方法で、バランスをとっていくのが一番、負担が少なくて、本人的に無理がないですからね。

コメント