よく気がつくタイプの人は、「周囲から、または世間一般的に求められている以上のことに、気を配りすぎ、気をつかいすぎ」になって、そのためにむしろ「浮いてしまう」場合があります。
どんなに素晴らしいことでも、やりすぎてしまうと、かみあわなくなってしまうものです。
気配りしすぎていることは、自分ではわかりにくい。
一般に、気を配ることは「良いこと」であり「喜ばれること」なので、こうした「やりすぎ」になかなか気づけずに、人間関係がうまくいかない原因は自分以外のどこかにあるはずと、違う方向に原因探しをしてしまうことがあります。
たとえば「求められていることが、うまく出来ないためや、分からないために浮いてしまう」なら、理由としてわかりやすいですが、「求められている以上のことを、やりすぎている」のが原因であることは・・・わかりにくいですよね。
一般に、気配りをしてもらったら、ありがたく感じるものではありますが、しかし、あまりに先回りしてやりすぎても、相手からするとまるで「ありがたさを強要されている」ような、違和感や威圧感を覚える場合があることを、覚えておきましょう。
または、手伝ったり配慮したりする行為を、ありがたがらない人もいます。
まるで、「あなたは、自分でこれができないでしょう」、「あなたは、気づかないでしょう」と、遠回しにいわれているかのようだと不愉快になる人も、多くはないけれどもゼロでもないので、やりすぎには注意が必要です。
できることの、6~7割くらいの気配りで十分。
こういう気が利く人は「自分がやったほうが早い」「気づいたら、やってあげるほうが親切」という思いがあるります。
しかし、求められている以上にやろうとしていたり、または相手が必要としている時期より早すぎたりしても、相手がその価値に気づかないのでうまくかみあっていかないことがあります。
相手に感謝されたいわけではないし、お礼を言われたいわけでもない、そうするほうが望ましいからそうするのだという気持ちだとしても、「そのことの一番の当事者である本人」の意向を超えた動きをとることは、控えるという気配りの仕方もありますからね。
よく気がつくタイプの人が、他人のための言動をとる際には、「自分ができることや、気づいたことの、6~7割くらいを出していく」くらいが、度合いとしてはちょうどいいのかもしれません。
余裕をもった取り組みのほうが、お互いに気持ちよく、助け合ったり感謝しあったりできると思います。
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