スピリチュアルへの関心と、現実的な事柄への関わりとのバランスというのは、なかなか難しいものですが、偏りすぎないように「ほどよく」を意識することが大事です。
好きなこと、関心があることに時間と労力をたくさん注ぎたくなるけれども、しかし、そうした内的な方面への比重が大きくなると、日常の生活のほうへ向ける意識や労力が十分でなくなり、全体的なバランスのどこかが乱れていきます。
どのような部分にバランスの乱れがあらわれるかは個人差がありますが、よくみられる傾向として、「夜型になりやすい」というのがありますね。
私自身も、そうなりやすいので、気を付けるようにしています。。(^_^;)。
バランスがとられていると、行動したくなる。
スピリチュアルな関心と、現実的な日常へ向けていく関心との、バランスがとられているときは、自分に関わる事柄のエネルギーが全体的にうまく融合して「のっている」状態となります。
2つの事柄にわけめがないので、融合して満ちている感覚になります。
落ち着きがあり、充実している実感がわきます。
そういうときには、いい行動ができるものです。また、いろんな思いを形にあらわしたくなりますから、行動を起こしたくなります。
一方、スピリチュアルな関心のみに偏りすぎているときは、現実的な生活のほうに向ける意識が少なくなり、内的な領域のほうへ向ける比重が大きくなりますので、
常に、思考の世界に入っていたくなり、行動が少なくなります。
思考をしているときのほうが充実した気持ちになり、行動をする時間がもったいないような気持ちになります。
高揚感はあるけれども、落ち着きがない、エネルギーが「上がっている」状態になって、フワフワしすぎになっていたりしますね。
夜型になると、確かに「冴える」けれど。
こうしたバランスを、自覚するのは難しいことですが、わかりやすい判断基準のひとつとして、スピリチュアルに意識が向き過ぎているときは、生活サイクルが「夜型」になりやすい、という点があります。
夜になると冴えてくるので、遅くまで起きていて、いろいろ考えているのが楽しくなってきます。
睡眠というのはスピリチュアルな行為で、寝ている間は、たましいがあちらの世界に里帰りしているとされています。
そういう時間帯(皆が寝ている時間帯)というのは、スピリチュアルな感性が「あちら寄り」になるので、感性が鋭くなるんですね。
ですから、そうしたくなる気持ちはわからないではないのですが、本来、しっかり眠ってスピリチュアルなエネルギーをチャージすべき時間帯に、眠らずにいては、気力と体力がうまく身体に巡らなくなります。
疲れやすくなるので、だんだんと、考え方や解釈の仕方がネガティブになります。
冴えが違う方向にいってしまうというのか、批判的になったり、欠点ばかり目につくことが多くなったり。または、夢みたいな現実的でないアイデアが、斬新でいいものだと思い込んでしまうこともあります。
ごく普通の状態ならば、そんなふうな考え方をしない人でも、夜型が続いて、疲れが蓄積してしまうと、軸がアンバランスになってしまうことは少なくないですね。
冴えるという(スピリチュアルに関心がある人が、好む方向の)メリットがあると、そうしたデメリットのほうに気づきにくくなり、そのあたりバランスをとることは、なかなか難しいところではあります。
私自身も、夜型になってはあまりよくないとわかっていても、この感覚になれる時間に寝ているのは惜しい、というような気持ちになることは多々あるので、気持ちはわかりますけれど、、、しかし、トータルでとらえていくことはやはり大事なことですからね。
朝の冴えは、現実的で「使えるアイデア」が多い。
夜の冴えた感覚を手放すのは惜しくなるものなので、なかなか、朝型のサイクルに戻すのは難しいこともありますけれど、朝は朝で、別の種類の冴えもあります。
現実的に生活にいかせるように「朝一番の冴え」を得るという方向に、新たな価値を見つけてみましょう。
しっかり眠って、スピリチュアルなエネルギーをチャージした状態でひらめいたことの中には、肯定的な「使えるアイデア」がふくまれているものです。そこから着想をえて、行動に移して、アイデアを形にしていく手ごたえを経験していくことですね。
その価値を実感していくと、自分にとって一番いいペースがわかって、適したサイクルが作られていくようになります。
コメント