誰でも年齢が若いうちには、自分の限界とか上限とかが、あまりわかっていませんよね。
そういうことを考える機会は少ないでしょうし、考える必要性も少ないでしょうから、比較をする経験が十分に重ねられていないうちは、難しい感覚だと思います。
自分自身や自分の人生に対して「万能感」を持っていられる時期、というのがあります。
何も失うものもなく、何もたりないものもなく、そのままを疑いなく信じていられるような感覚を、だれもがいくらかは持っているのが、子どもの頃であり、若い頃であると言えます。
大人になるほどに、そうした感覚は薄れていきます。自分を信じる、というくらいはできても、万能感をもつことは難しくなります。
年齢を重ねていく中で、現実に照準があっていく。
年齢を重ねていろんな経験をしていく中で、頑張ってもできないことがあったり、求められることをうまくできない自分がいたりして、小さい頃の万能感は自然に薄れていくようになります。
ある意味、挫折感も味わうけれども、そこから自分の個性や特性が、(他との比較からの差異で)わかっていくようになるので、自分のできることに「現実的かつ意識的になることができる」とも言えます。
時間の有限性の、意味や価値がわかってくる。
そうして、さらに年齢を重ねていくと・・・、今度は「自分の人生という時間の有限性」を、感じていくようになるのではないでしょうか。
自分がそう感じるようになることもでてくるでしょうし、そういう話を身近なところで見聞きするようにもなっていくのだと思います。
この感覚は、若いうちには、なかなか自分に重ねて考えることができないものです。頭ではわかっていても、心からわかるようになるのは、ある程度の年齢になってからだと思います。
・・・と書くと、なんだかしみじみ、切ない感じもしないではないですが笑、しかし悲観的になることではないですね。
むしろ、そうして有限感をもっていくほうが、しっかりと自分の人生に取り組めるようになる利点のほうが、大きいくらいです。そこに、経験と年齢の価値がある、ということですね。
時間という限りがあるから、意識的になれる。
万能感があるうちは、時間の大切さがあまりわからないものです。
大人になって、この流れゆく時間は貴重なものだとわかることで、自分自身と、自分の人生に対して、意識的になっていけるのです。
いつでもいいと思っていたものを、今からやろうと思えるようになったり、何でもいいと思っていた中から、どれがいいかと選択するようになったり、人生に対して意欲的になることができたら、そこから人生の充実度を加速させていくこともできます。
人生は、どの時期もどの瞬間も、「今だからできることと、今だからわかること」の連続なんだな、と思うのです。今というこの瞬間を、大事に扱っていきたいものですね。
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