行動の前の準備は、万全でなくていい。

頭の中で思っているアイデアを、実際に形にしていきたいなら、「行動」が必要となります。思っているだけでは、動きがついていきません。

行動の必要性を十分にわかっているのに、動き出せないのは、「やるなら、ちゃんと準備をしてから」という完璧主義な人に多いのではないでしょうか。

あれとこれを整えてから、十分な時間を確保して、気分も盛り上がったところで動き出したい、という思いはわかります。

ですが、そうして、プロセスをいくつも作ってしまうと、なかなかスタートラインに立てなくなります。

準備が万全の状態は、やってこない。

ちゃんと準備して、整えていくのは、ゴールまでの道を着実に進むように一見思えることですが、しかしこだわりすぎるとスタートが切られません。

なぜなら、準備すればするほど、さらに必要なものや前もってしておいたほうがいい事柄が次々にでてきて、準備がしっかり整って満足という瞬間は、永遠にやってこないからです。

しっかり準備できて満足と思えるとしたら・・・、それはおそらくはたくさんの抜けがあることに気づいていないだけですね。

実際には、動き出してみればいくらでも、「想定外」が次々と発生します。

つまり、どちらにしてもそういうものなのです。

準備をしっかりしたつもりでも、そうでなくても、完全になる瞬間はないのです。

ほどほどのところで区切りをつけて、準備にかけるエネルギーを、動き出して進めて行くことに向けたほうが役立つでしょうし、自分的にも納得がいくのではないでしょうか。

準備というのはどこまでこだわっても、前段階での動きに過ぎず、本番の動きは「そこから先である」ことを忘れないようにしましょう。焦点を当てていくメインはそちらですからね。

動いてみれば、ほとんどのことはなんとかなる。

それに、すべてが十分とは言えない状態でスタートして、動き出してから必要なことを加えて、整えていくという順番になってしまうことの不都合は・・・実際には、ほとんどないはずです。

たりないものを補うための手間が余計に掛かるとしても、その手間の労力と、いつまでもそこに留まって、時間が過ぎていく損失を冷静に比較したなら、

たりない状態でもなんとか工夫して動いていくほうが、「工夫の仕方が身につく」という点も含めて得るものが多いと思われます。

ほとんどのことは、そのときになって慌ててもなんとかなります。

むしろ、事前に備えたことが、実際に使われる確率のほうが低いかもしれません。

動いてみて、わかることがある。

実際に動いてみると、頭の中で考えていたとおりには進まず、動きながらアレンジしていく必要性が必ずでてきます。

準備を十分にすると、「それらが役立つこともいろいろある」かわりに、「準備したけれども、使わない」可能性も比例して増えてしまいます。

だから準備がいらない、ということではなくて、どこまでもやればやるほど役立つというものではない、という理解が大事だということです。

準備をしていなくて、そのときに慌てて対応をした行動も、「こういうことが起こり得る」「起こったら、こうすればいい」という知恵が身につきます。

そして、わかったことを、この先にいかすこともできますし、次の機会にもいかすこともできます。

たくさん考えることも勿論、この先に、そして次の機会にも役立つけれども、実際の行動からわかることは本当に大きいということです。

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