たとえば、労働者と使用者は、法律の上では対等とされているけれども、実際にはやはり「お金を払う側」である使用者側のほうに優位性があり、自然と上下の関係が生まれてしまうと思います。
お店とお客さんの間も、お金を払う側であるお客さんのほうに優位性がみられるケースはあるものです。
このように、本来は立場は対等のはずだけれども、何かの条件によって優位性や上下関係が作られて、一方だけに負担が大きくなることがしばしば起こります。
現実の状況を優先するほうが、スムーズな場合も多い。
そういう力関係に基づく「いろいろ」があったときに、「理想としては対等になるべきなのに、これはおかしいじゃないか」とか、「こういうバランスは不公平だから、公平になるように正そう」という気持ちになる方もいますが、結果としては、頑張るほうだけが消耗して、あまり状況がかわらないことも多いですね。
なんとかしたいという気持ちはわかるし、そうしたほうがいいという正義感も素晴らしいけれども、むしろ、その差をうけいれてしまうほうがストレスがなくなり、お互いの関係も(対等とはならないけれども、別の意味で)ほどよくかみ合っていくケースもあります。
そこが理想と現実との兼ね合いの難しいところですけれどね・・・。
既にあるものを「正そう」とすれば、それを「壊す」ことでもあるので、歓迎されるとは限らず反発もあるでしょうし、時間も労力も山ほど掛かります。
受け入れて(それが可能で問題ない範囲のことならば、ですが)、別のことに労力や時間を注ぐほうが総合的にみて、豊かで実り多い生き方ができることもあるように思います。
この世という場所は、「違い」を学ぶ場所でもあります。
違いがないと比較ができず、比較がないといろんなことに気づけません。
そういう状況においては、対等といってもいろんな兼ね合いがあって、すべては理想的にはいかないこともあります。
そのあたりは柔軟にとらえていき、その上で自分が何をなすのかという考え方に切り換えることが大事だと思うのです。
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