自分のことは、もっとも近い距離にいる自分が「一番よく知っている」ものです。
けれど、知っていることと、それに対して「○○であると認識すること」はちょっと別で、距離が近くて客観視ができにくい分、「自分は、○○なんだな」と認識することは意外と難しいものです。
実際の「物」にたとえてみても、目から3cmしか離れていないものは、焦点があわなくて認識しにくいですよね、「近すぎてむしろ認識しにくい」場合があるのは、自分自身に対しても同様なのでしょう。
先日、知人のIさんが面白いことをおっしゃっていました。
職場の仲間同士の会話で、「Iさんって、考え事をするときに「考える人のポーズ(ロダン)」になるんですね」と言われたそうで 、「確かに無意識でそのようにしているかもしれない、でも指摘されないと気づかなかった」と。
確かに、言われてみれば・・・Iさんは、そのポーズで思考をしていることがあるかもと、私も思いました笑。
Iさん自身も、他人から「言われてすぐに分かる」なら、自分でも「知ってはいる」んですよね、それを改めて意識する機会が今までなかった、というだけで。分かっていなければ言われても「そうかなぁ?」となるはずなので。
こういうことは、多いものです。知っていることでも、他人から言葉にして言われることや、文章で目にしたり耳にしたりすることで、「ああそうかも、言われてみれば自分は○○だ」と認識しやすくなるということが。
そうして気づくと、自分のいろんな要素を、うまく使うことができますし、必要があれば直したり、使う場面を注意したりと、効果的にいかすことができますよね。
こういうメリットが「人と接する機会」には含まれています。真剣な会話でも、雑談でも、ふとしたことの中に自分を知るための要素が含まれていて、お互いに学びを与え合っていることになります。
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