女性の人間関係の変化は、環境や価値観の変化が関わる。

この世のものごとはすべて、時間とともに変化していきます。

人間関係も例外ではありません。

自分も相手も何も変わっていないように見えても、実際にはお互いが時間の分だけ変化していますから、お互いの間につくられる関係もまた、変化していくのが当然です。

しかし、昔からの知り合いは、お互いの変化を乗り越えて関係を続けてきたという信頼がありますから、今後もそのままの関係が続いていくものと思ってしまうものかもしれません。そ

れなのに、前のようにかみ合わない部分がでてきたり、お互いの認識の度合いや思い入れの深さに差がついてしまうと、なんだか寂しいような虚しいような気持ちになることもありますね。

「共感」だけで繋がる関係は、長続きしにくい。

人はそれぞれ個性があり、成長の仕方もそれぞれなので、年齢が重ねられるほどにお互いの違いが目立ってきます。共通点がたくさんある間柄でも同様です。同じことがたくさんある中で、違いが際立つようになると、「何かが違う」という感覚になりやすいですね。

女性は、人間関係に「共感」を求めることが多いので、そうなってくると関係が継続しなくなっていきます。

しかし逆にいえば、お互いの違いを認めて、前のような共感のみを重視した繋がりでない関係もアリだと受け入れていけば、ちょうどよい距離感のまま関係が続くとも言えます。関係が長くなっていくほど、大人になっていくほど、そういう切り換えもしていくことが必要になってくると思います。

若いうちは数年おきに、切り換えがある。

子どもの頃は年齢が近いとか、学校が同じで家が近所だとか、そういう共通性で自然と友だちになります。環境に共通点があります。

高校生以上であれば、同じ学校に入学しているということで、目指すものや学びたいことが近いという価値観の共通点がありますね。このくらいの年齢になると、お互いの性格や性質の共通点から人間関係がまとまっていくこともあると思います。

社会に出てからも、同じ会社にはいった同期と友だちになったりしますよね。

このあたりまでが、「人生において、数年置きに、一斉に切り換えのイベントがある時期」なのです。入学、卒業、入社ということで、それまでの関係がリセットされて、新しいものがはじまっていく動きが、同じ状況にいる人達にいっせいに起こります。ここでそれまでの友だち関係がリセットされても、「卒業だったからね」ということで、自然に受けとめていけますよね。

その後は、それぞれの個別の事情が関係してくる。

それを過ぎると、一斉の切り換え時期というのは、ほとんどありません。子どもさんがいる方が、子どもさんの卒業でママ友関係がリセットされることを除けば、自分の友だちなどの関係は、そのままずっと続いていくような感覚になってしまうものです。

しかし実際には、この世に時間というしくみがあって、すべては変化していく以上、長く続いてきた人間関係でも自然と薄れていくことや、途切れてしまうこともあり得ます。理由なく、そうなることもあるものなのです。

これまでの関係が薄れてしまうと、「なぜ、今になって。何も心当たりがないのに?」と、何か決定的な原因があったのではと考えてしまうものですが、しかし、何も理由がなくても、自然とそうなってしまうこともありますし、そういうことが起こりやすい時期(年代)というものがあります。

価値観の差が、大きくなっていく時期がある。

人生において何に価値を見いだすか、その比重や優先度がどんなふうかという個人差がでてきて、友だちや知り合いと過ごす時間の優先度が、低くなる人もでてきます。

そちらに高い価値を見いだすタイプの人からすれば、「なぜ?」「自分が何かしたから?」と思ってしまうものですが、何もなくてもそうなることもあります。

ちょっと寂しい気持ちはするかもしれないけれど、それもまた人生の1ページで、お互いに何かの意味があってこうなっているんだろうなと、静かに受け入れることも必要ですね。

そういう割り切りをもっていられたらきっとまた、よい出会いがあったり、楽しいことが見つかったり、人生に新たな彩りが加わっていくでしょうから、そこに楽しみを見いだしていくといいです。

時間というしくみが、解決してくれる。

少し時間がたつと、そのことへの寂しさなどよりも、これまでの関係への感謝の気持ちがわいてくるものです。

時間というしくみが、感情を落ち着かせてくれます。

寂しさは、懐かしさへと変わり、

怒りは、理解へと変わります。

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